「みずたまり」で韓国の方が有島武郎の作品を翻訳中で、言葉の意味がわからないところを質問していらした。そこで今日は、有島を取り上げようと思う。
有島武郎の作品は、ひとことで言えば、私にはわからない。それは私だけかと思っていたら、どうもそうではないらしい。評論家の柄谷行人さんも何かで書いてたし、遡って本多秋伍さんも同じように”有島の作品といい、有島という人はわからない”という風なことを書いていた。
彼の文章の潮流は、他の作家の追従を許さない。描写が的確で言葉がそれにぴたりとあっていて、寸分の隙のない文章なのだ。文章が難解なのでも、話の筋が難解なのでもない。むしろ難解という熟語と遠いところにいるのは、有島だろうとも思う。つまり有島という人も、有島の作品もつかみどころがないのだ。わからない中において一つのキーワードを手がかりに手繰っていくと、少しはわかってくるものだが、有島の場合、ますます深みに入っていくのだ。それゆえに今でも有島武郎を熱心に研究する人が大勢いるのだろう。
有島の”わからない”に関しては後日また書くことにして、今日は、私が有島の作品の中で最も好きな彼のエッセイを紹介しよう。
「An Incident」
ー「光(みつ)! まだ泣いてるか――黙つて寝なさい」
子供は気を呑まれて一寸(ちよつと)静かになつたが、直ぐ低い啜(すゝ)り泣きから出直して、前にも増した大袈裟(おほげさ)な泣き声になつた。
「泣くとパヽが本当に怒(おこ)るよ」
まだ泣いてゐる。ー
光と呼ばれた子どもは、なかなか寝ない。母も父も手をやいている。寝ろといえば言うほど、寝ないでやんちゃをしたがる・・・
どこにでもある情景、ほほえましいと思うのは、他人だから?当の父も母も精魂尽き果てる。
そうやって成長した光君は、やがて俳優さんになった。端正な顔立ちで、女性を魅了した光君こと森雅之さん(本名有島行光)の、黒澤明監督の「白痴」でのセリフ。
ムイシュキンならぬ亀田青年(森雅之)は、ロゴージンならぬ赤間(三船敏郎)に、ナスタシャーならぬ那須妙子(原節子)の死を尋ねる。ローソクを1本前にして、ふたりは寝そべりながら、語り合う。
「君がやったの?」と亀田が言う
「・・そうだ・・これであれは(ナスターシャのこと)、君と俺二人のものだ」と赤間は答える。
線の細い亀田青年と力強い赤間、正反対の二人がまるで永久の友のように語り合うシーンだった。
森さんは、5歳で母を失い、12歳で父を失った勘定になる。その父が有島武郎であることをあまり人に話すことはなかったという。
ちなみに森さんの婚外の娘として、中島葵さんがいた。傍役の女性の一人である。彼女もまた、父が森雅之であることをあまり人に話すことはなかったという。
それぞれに幼いときに背負ったもの、その重さをばねにして、それぞれの道を歩んでいた姿が浮かぶのだが。

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