日本から持ち帰った、宮本輝「蛍川・泥の河」、「道頓堀川」読了。
どちらかの本の巻末にある解説にも書かれていたけれど、どれも文学の香り高い作品。

「文学:思想や感情を、言語で表現した芸術作品」と辞書にもあるとおり、まさに感情が言語で表現されているとしか言いようがない。
選ばれ、磨かれ作品となった、やわらかな表現力とリズムのある文章がそこにある。
「文芸」とは、まさしく文章の芸術。
奇抜なストーリー立てではなく、文章と登場する人物の心情の機微、それだけで読ませるような作品がもとより好きでもある。
改めて思えば、ハードボイルドも一人称による語りで、個々の内面の動きが語られている。
ハードボイルドは、情景描写と「私」の心理描写を読む小説でもある。
「泥の河」は、
小栗康平監督の映画から入った。
これまで観た映画の中で、間違いなくトップランクに入る作品でもあるけれど、観るにあたっては決心がいる作品でもある。
描き出される大人と子供の世界、生きて行くということは、なかなかにタフなことでもある。
登場人物では、田村高廣、藤田弓子演ずるうどん屋の夫婦が素晴らしくいい。
かつての日本には、こういう人たちが多く存在していたと、自分の幼かったころを思い返してそう思う。
高廣さんの演技、これだけを観るだけでも十分に価値はある、もちろん作品全体としても素晴らしいのは言うまでもないけれど。
文芸であれば、「行間を読ませる」、映画であれば、カット割りや次のシーンから「何があったのかを分からせる」。
なんでも書く、なんでも映像に写して見せれば良いわけではないし、そういう作品は品が無くなるけれど、残念なことに、近年はそういう作品が多い。
観る方のイマジネーションが落ちているのだと思う。
先月末に日本から持ち帰った本、そのほとんどを読了してしまった。
近いうちにまた、「私」の香港での行き着けの本屋「写楽堂」へ行かなくてはならない。

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