1996年発行のロッキング オン主宰・編集長 渋谷陽一氏の音楽、ライヴ、メディア批評集。
このような本が今現在の店頭に新刊で並んでいるはずは無く、もちろん香港にある古本屋で入手した。
評論は、そのほとんどが80年代中後期から90年代に書かれたもの。
当時の自分は、「ロッキング オン」の競合誌である「ミュージック マガジン」の愛読者で、記載されている評論のほとんどは初読となるため、当時を想い出しながら実に楽しく読むことができた。 実際、厚さほぼ4cm、500ぺージを越えるボリュームの評論集を実にほぼ2日で読み終えてしまった。

リアルタイムで書かれた当時の作品やアーティスト評を読むと、当時の空気や状況が鮮やかに浮かんでくる、ライヴ評で取り上げられている公演には自分も出かけたいくつかの公演も含まれてもいる。
こういう評論は、もちろんタイムリーな状況で読まれてこそ価値のあるものとは思うけれど、こうして10年、20年という時が経った後に読み返してみると、今度は当時の記録としての価値も生まれてくる。
70年代においては、ロック、そしてミュージシャンのプレイは議論や批評の対象であり、数人が集まると、誰それの新符はどうだ、誰のギタープレイ、どこそこで演じられたフレーズはどうだという会話が日常的に交わされていたように思う。
市場が広がり、音楽の発信者も増え、そしてよりコマーシャルな音楽産業へと変身して行く過程で、ロックそして音楽が日常で熱く語られる機会が少なくなっていったように感じている。
HMVへ行けば、あれだけの棚に溢れるほどのCDが売られているけれど、そこにスピリットやソウルを感じさせるアーティストの作品は非常に少ないと感じる。
濃厚だった70年代から80、90年代を経ての現在の音楽シーンへ、60年代の創世記をもおぼろげながらも知る自分は、リアルタイムでロックの黄金時代を体感できた幸せを感じずにはいられない。
90年代の雑誌作りに対する批評も面白かった。
80年代から90年代、同じ時代に同じフィールドで仕事をさせてもらっていた立場から、共感しながら読ませてもらった。
ページを切り売りしているとしか思えないタイアップ記事やスポンサーの方を向いて書いているとしか思えないちょうちん記事。 製作は外注任せで単なる仲介者、コーディネーターでしかなくなった編集者。 しゃれているようで、全く意味のわからない文章。 訳のわからないコンセプトをぶち上げて、実際の読者層が全く見えて来ない媒体。 広告収入を上げることしか眼中になく、薄っぺらく全く内容の無いカタログのような媒体。 いずれも当時、自分たちも口にしていたことであり、そして今でも共感を覚える。
極力外注に頼らす、取材、記事は自分たちで行う、これが当時の自分たちの編集長の方針で、外注に頼る他の部門を強く批判していたことを思い出す。
香港の日本書籍店でも、実に多くの雑誌が売られているけれど、実際に買って読もうと思わせる雑誌はほとんどない。 第一、価格も高すぎる。 レジの脇に山積みされたフリーペーパーも多少の暇つぶしにでもなればと、手にはするけれど、ほとんどは読む気にもならない内容と記事で、ほんの数分でゴミ箱行きとなる。
ここに居ると情報の流入が限られ、多少は世の中の動きに疎くはなるけれど、日々を暮らしてゆくなかでは、このくらいの情報の入り方でちょうど良いのではとも思っている。
先を急いで何の役にもたたない情報の洪水の中に身をおくよりは、ずっと穏やかな生活ができる。

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