なんとか危機は脱したかなと思う。
3ヶ月間の長期休暇。
最初のひと月は、自分の身辺の整備に。ふた月目は、何をするとも無く、動きも無く。
三月目は、何かと慌しく。そして来月からは、また新しい生活が始まる。
不安定な時期ではあったにもかかわらず、不思議と大らかな気持ちで居られた不思議。

ずっと観たかった映画「Always −三丁目の夕陽−」を観ることができた。
CGを多用したセットのような映像ではあったけれど、昭和30年代のムードは伝わってきた。
改めて思うと、当時はいかに人々が飾らずに本音で生きていたことか。
街並みの絵が映るたびに、自分が幼年期を過ごした当時を思い出していた。
家族ぐるみでつきあっていた床屋の老夫婦、道楽者の酒屋の親分、八百屋のオジサンや大工の棟梁、祖父母と交際関係の深かった近所の人たちには、本当に可愛がってもらったと記憶している。
メシを食って行けだとか、風呂に入って行け、さらには泊まって行けだとか、当時の大人たちは自分の子も近所の子も分け隔てなく接していたと感じる。
生活は向上し、身なりや行動はスマートになったけれど、かつての暖かい地域のコミュニティーは完全に失われてしまったと思う。
昼に観た映画を、夜もう一度観直した。
集団就職で青森から来る六ちゃんは、まさに今の自分の娘と同じ年齢。
そんなことを思いながら、もう一度、映像を追ってみた。
ラストシーンでの鈴木オートの息子の一平の言葉、「夕陽は、明日も明後日も、50年後だって綺麗に決まってる」。 当時から50年が過ぎようとする今、町内を照らす夕陽は、本当に綺麗なままなのだろうか、自分はやわらかく記憶に残る昭和30年代の夕陽の美しさが忘れられない。

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