昨日は取引き先を訪問したりして仕事らしきことはしたものの、泊りがけで出掛けたりもしていたので、曜日の観念がわからなくなっていた週末。 すっかりリラックスした気分で、夏の強い日差しの中を稽古場所へと向かった。
稽古場所に着き登録を済ませ、時間と同時に畳を敷き始める。
今日は誰も来ておらず、一人で敷き始めると、やや遅れて香港人のCさんがやって来た。
畳を敷き、着替えを終えると開始時間となり、二人で稽古を開始した。
準備運動の後、身体を硬くする癖のあるCさんの脚運びを柔らかくするよう、いくらかの歩行法や、重心を落としての片足飛びなどを試した後、正面打ち一教から稽古に入った。
相手の打ち込みを受ける“出会い”の瞬間に集中して、黙々と受けと取りを繰り返す。
時に“出会い”と“崩し”を考え、また、何も考えずに黙って淡々と動く。
これは、自分の好きな稽古法でもある。 技を通じての相手との会話、瞬間への集中、意識がそこだけになれば、回りとは完全に隔離された空間がそこに存在する。
空間=小宇宙、合気道は動く禅だと言われたのは、こういうことによるものだと思う。
技の交換を十数回、結果としては、50本くらいづつの取りと受けを取ったことになる。
一教の後は、入身投げ。
柔らかくリラックスしたショック アブソーバーのような膝、相手を走らせてコントロールすることだけを話して、同様に技の交換に入った。
黙って受けと取りを繰り返す。 20本くらい交換したあたりで、Cさんから休憩させて欲しいとの申し入れがあり、小休止。
テニス、野球、ゴルフなどの打撃をスィート スポットが捕らえたときのように、技が完全に決まった時には、相手の存在を感じないときが多い。 その感覚、言い換えれば、引っかからない感覚を話していると、D君が遅れてやって来た。
D君を交え、取り、受けで抜ける入れ替わりで、3人で入身投げを繰り返す。 Cさんの腕の振りは、始めたころと比べて明らかに柔らかく変わってきている。
一教と同様、50本くらい投げ、受けを取って片手取りの四方投げへと移った。

四方投げは、入身、転換ともに中心から重心を落とし込むように入ることを、特にD君に伝えて開始した。 三人が入れ替わりながら、黙々と投げ、受けを取る。
自分が抜け、D君が取りの時には、重心を落とすこと、沈むことを口頭で伝える。 しばらくして、踏み込み、残心ともに格段に変わり、日本の道場へ出ても恥ずかしくない動きに変わった。 「日本の道場へ行っても問題ないレベルになった」と伝えると、実に嬉しそうに笑った。 いつか、日本の道場へも連れて行ければと心底思う。
四方投げも受け、取りを各5、60本。 黙々と同じ動きを続けることで、見えてくるものは必ずある。 自分も今日は、充実した稽古が出来たと思う。
最後は、諸手取り二人掛けで、呼吸法、四方投げ、前後への呼吸投げなとで、少し遊んで稽古を終えた。
稽古後、携帯へ新規の問い合わせ有り。
国外での経験者とのことではあるが、すでにお伝えしてあることを何度も訊いて来る。 今回は同じ回答をした後で、当会は、スポーツ クラブではなく、自分が個人で運営している道場であり、その趣旨を尊重していただけない場合はご遠慮願いたいとお伝えした。
商業ベースで行っているスポーツ クラブであれば、利用者の都合の良いように便宜は図ってくれるだろうけれど、個人がパブリックのスペースを借りて運営している現状では、なかなか満ちたりた運営は難しいし、自分は商業インストラクターでは無く、日本文化の伝承者であるという意識もある。
その部分を理解、尊重いただけない場合は、ご参加いただかない方が良いと判断した。 幸い、現状は良い状況で稽古が出来ている。
国籍、年齢を問わず、少しでも多くの人に合気道に接していただければとは思って来たけれど、日本的な文化、伝統をご理解いただけないのであれば、少し考え直す余地もあるのかも知れない。

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