驚異的な忙しさのここ数週。
タフな日々が続くと、ここではない何処か、大らかで開放的なマレーシアの風景を思い出していた。しばらく前に古本屋で「深夜特急 マレー・シンガポール編」手に入れていたせいもあったかも知れない。

香港・マカオでの熱に憑かれた沢木耕太郎氏は、惰性でくりかえしていたヴィザの更新の列を離れ、バンコックへと移動する。 バンコックでの数日の後、マレー鉄道でマレーシアへ。
ペナン、マラッカ、クアラルンプール、自分も滞在時には、深夜特急のエピソードを辿り、マラッカの夕陽にも幾度となくトライした。
ペナン、マラッカ、イポー、バトゥーバハ、アローカジャ、時間が止まったかのように、かつての賑わいの残像を残す旧い街並みは、郷愁を感じさせ気持ちを穏やかしてくれる。
強い日差しが鮮やかなコントラストを作る昼の風景と、色鮮やかな変化を見せる夕暮れの空、淡い明かりに浮かぶ屋台と夜風の涼しさ。 そんなことを思い出しながら、「深夜特急」を一気に読み終えてしまった。

マレーの紀行文の白眉は、やはり金子光春「マレー蘭印紀行」。
在住の間にも何度も読み返した。 マレー半島をタイから南下した沢木氏に対して、金子光春はジョホール、バトゥーバハ(バトバハ)、イポー、ペナンとマレー半島を北上している。
「バトバハは、すでに開け放たれていた。」この一言で、当時のバトゥーバハの賑わいが活き活きと伝わって来る。 そして、当時そこにあった日本人倶楽部の二階に旅装を解いたと記されている。
マレー半島中南部の都市、現在のバトゥーバハには当時の賑わいは今は無く、強い日差しを照り返す白い道を歩いている人は少なく、午後の静けさの方が印象に残る。
バトゥーバハへ向かう途中、高台のホーカーセンターで良く昼食を取った。昼食の後、飲み物を片手に丘の上から下の道を見下ろす、高台を吹き抜ける風は涼しく、至福ともいえるひと時が過ごせた。
ペナンでは、金子光春が滞在したタンジュン ブンガのビーチで過ごしたこともある。
大手のリゾートホテルが並ぶバツー フェリンギと比べると、穏やかなタンジュン ブンガのビーチと街は、少し寂しげに感じられた。 設備が揃い、旅行者が集うバツー フェリンギの方が、俗物の自分たちには楽しく感じられた。
書類を取りに税務局へ行った午後、となりの市政局の一階にスターバックスを発見した。
日差しが一番強くなる時間帯の午後、中へ入ってみると客はほとんど居ない。
毎度お決まりの「今日のコーヒー」を買い、二階へ上がると、2、3人の客が居るのみ。 シングルのソファーに座り、本にしばらく目を落とした後は、身体が沈み込むような感覚で小一時間うたた寝をしてきた。
「Lazy days, Café afternoon~」という歌があるけれど、カフェでぼうっと過ごす時間が好きではあり、自分にとっては至福の時間となる。 改めて思うと、そういう時間を過ごしたのは、実に数年ぶりのことだった。

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