映画の感想を書くより、本の感想を書く方が遥かに勇気がいるけれど。
方々で絶賛されていた浅田次郎「蒼穹の昴」を少し前に読み終えた。
「壮大なストーリー」、「感動の嵐」、「私はこれで泣きました。」的な書評を方々で見ていたけれど、自分には全然だめだった。 銅鑼湾の古本屋で上下巻2冊 40香港ドルで買った本のせいかも知れないけれど。

上巻は、官吏の試験を受ける文秀と極貧から宦官への道を選ぶ春児のストーリーが、それなりに興味深く進行する。 しかしながら西大后が登場してから、下巻へ入ってからは、小説のリズムが乱れてしまう。 自分は、まず西大后のキャラクターに引いた。 さらに、異端児だった文秀などの登場人物の別人のような優等生ぶり。歴史の流れには抗えないということなのだろうけれど、その流れの中で細々と動いているようにしか見えなかった。
話のテンポ、リズムが良くないと感じた。 時に冗長に感じる言い回しに、うんざりしてただ活字を追うだけになってしまう部分も多く、イメージが膨らんで行かない。誰にも感情移入できず、むしろ気持ちが離れて行く。 これでは本は楽しめない。
結局のところ、絶対に外れない占い師の予言を、具体化させて行く手順を見せて行くという、それだけの話だったのではないかと思う。最後の結末も取って付けたよう。
同じ時代の話なら、かつて一気に引き込まれて読んだ、陳 舜臣「阿片戦争」の方が遥かにいいと感じた。
それでも多くの人を感泣せしめた作品、多分、自分には合わなかったのだろう。
実のところ「壬生義士伝」も自分にはだめだった経験がある。
この人の長編は、もう止めにしようと思う。

気分を変えて、沢木耕太郎「檀」。
文体とリズムが良く、言わんとすることが実にスムースに伝わってくる。 流れが途切れて、前のページを読み返すことが無い。 物事をクールに見つめながらも温かみのある物の見方。多分、自分がこの人の文章が好きなのはそういう理由から。
未亡人の語りが、結果的には作家 檀一雄自身の半生を鮮やかに映し出してみせる。 文章を読む楽しみを充分に味あわせてくれた。
数日前に、藤沢周平「蝉しぐれ」を読み終えた。
娘が中学の国語の教科書で一部を読んで、読んでみたいと言った作品。
日本人の原風景に触れる繊細さ、やわらかさ、清楚さが感じられ、爽快な読後感で本を閉じた。 若者が苦境に負けず真っ直ぐに伸びてゆく生き様がいい。
不遇の時期を支えてくれたのは、やはり剣術と友人。気持を支えてくれて来たそれらが、やがて身を助けることにもなる。

冒頭で蛇に咬まれる隣家の娘「ふく」、文四郎が引き取った父を乗せた荷車を引くのを手伝ってくれた「ふく」、文四郎に祭り見物へ連れていってもらった「ふく」、江戸へ立つ前に文四郎を尋ねて来た「ふく」、そして「お福さま」となった後の「ふく」、登場するすべての場面での「ふく」が、やわらかく可憐でいい。
先に読んだ娘は、幼なじみの文四郎とふくの純愛物語として受け止めたらしい。
「(ふくが)すごくかわいそうだよ。読み終わって帰って来たとき、脱力して、何もする気にならなかった。」と話していた。 もちろん、それも間違った受け止めかたではないし、ティーンネイジャーらしい感想だと思う。 人との繋がりと人を思う気持ち、人生の織り成す綾、飾りすぎない文章が清楚で潔い日本人の原風景を見せてくれた。
初夏の雨上がりのような爽快な読後感の後、改めて人の一生の意外な短さを考えさせられた。
いい本を読ませてくれた娘にも感謝。

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