引越しをして3ヶ月、いわゆる方角が変わったせいなのか、いろいろなことが急に動いている。
仕事、プライヴェートともに、動きがある。
香港合気道協会にも復帰した。 旧メンバーのRicky 藩と再会したことが大いに影響したのだけれど、氏とは、たまたま上環の路上で再会した。 そんなところにも縁を感じるし、しばらくして協会にも動きが有った。 感覚としては、機が熟したというのは、まさにこういうことかなという感じ。 稽古に行けば、旧知のメンバーが暖かく迎えてくれ、5年間のブランクは一瞬にして消えた。 なにより、週三回、稽古ができるのがいいけれど、一週間の過ぎるのが、あまりに早く感じられる。
火曜日の稽古は、初級者が多く、基本技をメインにしての稽古だった。 初動、崩しに集中して稽古するには、ほとんど経験の無い新しいメンバーは、うってつけでもある。 技の動きを知らないので、先読みはしないし、自分から倒れることも無い。こういう相手を、崩す、倒れる方向へ導いてゆくということに集中して動くと、なかなかに面白い。これと合わせて、初動で一気に崩すことを試させてもらっていた。
逆半身片手取りから、見事に一瞬で崩れきったときが有った。 あまりの出来栄えに「おお、これだ!」と感動すら覚えたほどだった。 左手に変えて再度試みたけれど、再現はできなかった。 合気系の技は、上手くいったときの感触が身体に残りづらいので、実感として再現するのが困難でもある。 意識して出来るようになるのには、やはり相当な時間がかかる。 やはり、より多くの経験をするしか無いのだと思う。
受けもしっかり取らせてもらっている。 なにより自分の運動にもなるし、型の動きが分からない相手には、受けをとりながら導いて行くのが一番早い方法だと思う。稽古は、相手の身体と時間を借りているわけでもあり、真剣に稽古すれば、心底「ありがとうございました。」とお礼を言いたい気持ちになる。 実際、いい稽古をさせてもらっていると感じている。
公私ともに、本当に、いろいろな動きがあるけれど、良かったと思われたことが、結果的にはそうでもなかったり、また、その逆もあったりで、まさに「禍福はあざなえる縄の如し。」という言葉を思う。
師範は、「たとえ一時悪くなったとしても、変わらないでいるよりは、はるかに良い。」と話された。 変わることによって進歩がある。変わらずに留まっていれば、常に現状維持か落ちるだけ。
ここ一連の動きと変化が、進歩と良くなることへ繋がっていると信じたい。
稽古の後は、地下鉄の二駅ほどを香港名物の二階建て路面電車Tram で帰る。
今日も稽古の後、のんびりとゆられて来た。

窓を開けた二階の席に座り、ひと動きした身体を夜風に吹かれながら帰るのは、なかなかに気持がいい。夜の茶餐庁やレストランで食事を取る人を眺めながら、また、旧い住宅に灯る明かりや薄暗い露地裏などを旧い電車から眺めていると、長年つづけられてきたであろう、オールド香港の暮らしなどが思われて、ノスタルジアを感じたりもする。この間、ほんの10数分。街の様子を眺めていると、もう深夜のような気がするけれど、帰宅して時計を見ると、実際は、まだ8時半過ぎ。
時が戻ったかのようなこの10分間、深夜のUncle Ray のラジオと同様、ノスタルジックなリラックス タイムを提供してくれている。

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