このところ夢を馳せている南の島つながりの話で。
1994年に独立したパラオ共和国の国旗は、日本と同様に丸がひとつ描かれたデザイン。 日本は太陽を表す日の丸だけれども、パラオの国旗は海を表す水色の地に満月を現す黄色い丸が描かれている。 月の夜に浮かぶ満月の国旗なのである。
ドイツの植民地だったパラオは、第一次世界大戦後、国際連盟からの委任により日本の信託統治となる。 日本からは沢山の人が移り住み、開発、発展に努力されたという。しかしながら、 第二次大戦における日本の敗戦により、パラオはアメリカの統治となり、日本の開発によってもたらされた日本文化の香りも払拭されてしまったという。
1994年の独立の際に、国旗を決めるにあたり、国民からの一般公募の結果、パラオ共和国の国旗は、日本の日の丸に似た月の丸のデザインに決定された。 しかし、日の丸と全く同様では日本に対して失礼だとの配慮から、満月はわずかに中心を外したデザインとなっている。
日の丸に似たデザインが選ばれた理由については、かつての日本統治時代を懐かしむ思いと、その際に見せた日本人の勤勉さと真面目さへ対するリスペクトが含まれているという。 台湾と同様に日本スタイルの名前を持つ人も多く、台湾で言われる「日本精神」のように、日本の文化的精神も根ざしていると聞く。
かつての日本には、外国からも尊敬される文化と精神があったのだと思う。
改めて思うと、自分たちが受けた戦後教育では、なんと自虐的でゆがんだ歴史と国家意識をもたされて来たことかと思う。 学校教育では近代の歴史について、重要なところはぼかされ、歪曲され、外国から意見さえさる有様だ。 幸いインターネットの普及によって、学校では教えない部分の情報は簡単に得られるようになった。 自分もいろいろと調べてみたことで意識の変わった一人である。
「戦前、日本、すべて悪」というように意識づけられてしまったような日本は、近隣諸国に対して骨抜きにされ迷走している。 相手の顔色を伺い、思ったことも言えず、内政にも干渉されるような状況だ。
インターネットの普及により、情報の公開は進み、我々一般人も多様な情報元を持つことが可能となって来た。 これまでのような既成のメディアによる情報コントロールは難しい時代となって来ている。実際、 昨年あたりからのメディアの報道による意見とネット上での意見との間には著しい温度差が感じられる。
自分の意識は国外に出て変わったのかもしれないけれど、自分の国には誇りを持っていたいと思う。それでも、 改めて思うと現在の日本はリスペクトされるべき国なのだろうかと思う。 少なくとも自国の文化に誇りを持ち、毅然とした態度で不条理には意見を言える国家であって欲しいと思う。
大東亜戦争によって日本はアジア諸国に多大な迷惑をかけた、日の丸は侵略の象徴、科悪な植民地支配と聞かされてきたけれど、日本時代の統治を評価してくれている国も少なくない。 植民地としてではなく日本国の一部として開発されたからである。インフラの整備、産業の振興、何かにつけて日帝支配を口にするかの国にしても、日本統治の前と後を比べれば、日本がどれだけの投資、開発をしたのかは明らかなこと。
戦争責任にしても、日本は、
信じられない国にまで賠償金を支払い、そして条約の締結によって完結している。 東アジアの数カ国の言う正式謝罪とは何なのか、これまでに何度も謝罪声明は出されている。 そして、経済援助とODAは、受け取る側の権利では無い。 領土問題、プロパガンダ施設の建設、反日教育など、これだけのことをされて、なおも援助を続ける理由も理解できないものが有る。
パラオの国旗の話からずれて来てしまったけれど、実は、今回の東京都職員の管理職試験受験に対する訴訟の判決語の会見でのコメントには、怒りを感じている。 もちろん、判決は至極当然のことであり、むしろ非日本国籍所有者が公務員になれるということに驚いた。 外国人が公務員になれるというケースは、よほどな特殊技能を要するケース以外は、認められていない国がほとんどだと認識している。 自分の数カ国での経験からも外国人居住者には、その国の国民とは違い認められていない権利が有るという国がほとんどである。 税率が高い国すらあった。 不条理なことも沢山有る。 外国で暮らすということはそういう事だ。 もちろん、今回の判決は不条理でもなんでもなく、当然の判決。
国外で暮らすことによって、日本人であることのアイデンティティーをより意識するようになった。 そして、自分の国、日本国に対する意識も変わった。
自分の国には、世界に誇れる文化と精神を持ち続けて欲しいし、リスペクトされる存在であって欲しい。 そして、不条理には反論できる国となって欲しい。
スマトラ沖地震による津波の被害には、いち早く支援と自衛隊を送り支援活動を行っている。 今後は、こういう部門での第一の国になること が理想かも知れない。 モルジブでは、ODAで造られた堤防が首都を救ったという。 ODAはこういう本当に役に立つところへ使って欲しい。
自分の子供や孫の世代になっても、日本人であることに誇りを持て、日本人に生まれてよかったなと思える国であって欲しいと願っている。
国力が弱くなって幸せになった国民は居ない、日本国の尊厳を取り戻して欲しい。
上記、国を想うと「右翼」と言われることを恐れつつ。



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