ここ数日、ちょっと不運なことがあって気分が優れずに居る。
クリスマス イヴに、こんなことを考えるのはふさわしいのかどうかは分からないけれど、2004年という年が終わろうとしている時期に、自分の2004年を思い起こしてみることは、そんなに外れたことではないだろう。
当たり前のことではあるけれど、良い事ばかりがあった年ではなかった。 雇われている会社でのアチーヴメントも決して良い結果を出したというわけでは無いし、いろいろな問題も頻発して、精神的にも振り回されることは多かった。
最近感じているのは、良くないことが起こったときに、悪い感情に流されて、沈んだ気分で時を過ごすということが、なんと空しい時を過ごすかという事。 人と揉める事にしても、原因は些細なことで有ることも多い。 できれば、常に気分良く居られたらと思う。 悪い感情をもたらす事は、身体をかわして次々と後ろへ放って行けば良いのだけれど。 実際のところは、まだその境地には達することは出来てはいない。 心囚われず、常に外に向かって、という境地に立てるには、まだまだ時間は必要。 それでも多少は良くなっていると感じている。
そういう精神的、身体的なブレや崩れを修正するのに自分には合気道が必要なものとなっている。 道場へ入り稽古が始まれば、外のことはすべて忘れる。 道場は通常の世界とは隔離された世界でもある。 土曜日の稽古は、休日の午後ということもあり開放的な気分で臨める。 稽古前までは、世俗のもやもやを引きずっている日も有るけれど、開始と共に別世界へと移動する。 充実感ととに稽古を終了した後は、それまでの事を忘れているときもある。 週末の稽古は自分をクリーンナップする場でもあるのだ。 もちろん、もっと上手くなりたい、師範に近づきたいというのが最大の目的ではあるけれど。
ここまで書いて、マニラでのStarbucks のことを思い出した。 仕事に詰まったり、ハードな事が有ると良くStarbucks に出かけていた。 幸いマニラのオフィスではBoss だったので、時間はどうにでも自由になった。「Starbucks に居る。」と告げて、良く出かけた。 外のテーブルで空を眺めながらぼうっと考え事をしたり、進行やアイディアをノートに書き込んだりしていた。 住んでいたコンドミニアムの下もStarbucks だったので、休日の夜に家族でもよく行っていた。 人気の少なくなった2階のソファーで外を眺めながら、就寝前の時間をゆっくりと過ごしたものだ。
考えて見ると、戻ってからの香港ではその手の時間が不足していたように思う。 香港のStarbucksやCoffee Beans が立地的に今ひとつで、リラックスしづらいということは有るけれど、2005年は勤務態度を改めて(?)、そういう時間を取るようにしようと考えている。 閉ざされたオフィスの中だけに居ては、閉塞されたアイディアしか出てこないだろうから。
年が変わるには、あともう一週間有るけれど、来る年には次のステップへ行けるように頑張りたいと思う。 雑事に振り回されているだけでは、もがいているだけで先へは進めない。 些細な事にこだわらずに、先の事を考えて行かねばと思う。
「役に立たざることをせざる事」、これも宮本武蔵の言だったと思う。


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