上達するということは、どういうことなのかと考える。
上達=技が自在に使えるようになる事、と考えれば、現代の稽古においては上達するまでには、相当な時間がかかるようになっている。 通常の街道場の稽古では、週に2回、良くて3回の稽古を行っているところが、ほとんどだと思う。
週に2回として、ひと月にして8,9回の稽古、合宿などを除けば、年間100日くらいの稽古になる。
「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする。」という宮本武蔵の言が有ったと思うけれど、年間100日の稽古だと、10年かかって「鍛」ということになる。昔の人は、毎日稽古しただろうし、取り組み方も今とは違っていただろうけれど、大体3年から5年くらいで、皆伝、または免許に達している。今の稽古日数だと10年から15年くらいだろうか。 一生懸命にやってもそのくらいはかかる。
稽古を始めた頃、道場長のS先生が、「とにかく、黙って10年やってみてください。」と話されたことを思い出す。 実際、10年が過ぎるころ見えてきたものは沢山有った。
技を学ぶには型から入る。 型の動きをなぞることで、技そのものの動きを習得して行く、言うなればこれが基本。 まずは、どう動くかを覚えること。 これは、いわゆるフィジカル的な運動の部分。
一連の技の動きは、当たる(接触)〜 初動 〜 崩し 〜 技 と進行するけれど、重要なのは、崩しまでの動き。 これがいわゆるツボであり、「術」といえる部分かも知れない。もちろん相手が在ってのことであり、スポーツ的な筋力運動でもない。
いなし、抜き、中心、呼吸、伸筋力、そして理合い、これらの部分は、型の動きほどはっきりと見て真似ることが出来ない部分でもあり、また、技法を説明することも難しい。
稽古を通して指導者は、言葉を変え、手法を変えて、この部分を伝える努力をされて来たと感じている。 自分の例を取っても、多少自分が体感できるようになってきて、「ああ、あの時、師範が話されていたことは、このことだったのか。」と、理解できるようになったことは、実に沢山有った。
この「術」に関しての流れの部分については、実際に体感してもらうしかないと思う。 それには、やはり稽古あるのみ。 時に考えながら、時に勢いで動き、経験を蓄積して行くしかない。


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