古い時計を見つけ出して、直してみようと思い立った。
もう10年以上も前、金鐘に西武が有ったころに購入したモノ。 もう随分長い間使っていない。 出てきた時には、ワクはくすみ、ベルトの皮は剥がれ、死んでいるような状態となっていた。
くすんだ外枠をちょっと磨いて、多少、見られる状態にして、仕事の合間に上環の街角の時計屋のおっちゃんのところへ持ち込んだ。
以下、会話。
J 「電池換えてください。」
お 「あいよ、でもベルトも替えた方がいいな。」
J 「うん、だけど、動くの確認してからね。」
お 「そりゃそうだな。」と言い、電池を換える。
J 「おっ、動いたね。」
お 「うん。」
J 「ベルトも換えよう、ベルト見せてくれ。」
お 「これだな。」と言い、一つ出して見せる。
J 「他の無いの?」
お 「コレに合うのは、これだけだな。」
J しばらく考えて、「OK、それでいいよ。」
-- 作業終了。--
J 「いくら?」
お 「イーサップ マン。」
J 「イーサップ マン ナ?」
お 「ハイ ラ。」
で、結果 HK20 で時計は生き返った。
モノというのは使わなくなって放置していると、生気が無くなって死んだようになって、一気に傷みが進行する。 で、再度使うようになると、また生気が蘇って生き返ったようになる。
使用する人間の生気が移るのか? それとも、また使われるようになって、モノ自体にまた生気が宿るのか?


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