2015年2月18日夜、ティンガティンガ村(工房)の長老、ムゼー・アモンデが亡くなりました。
あの味わい深い笑顔と、ユニークで楽しくほのぼのした作品が見られなくなって、とてもとても悲しいです。
創始者ティンガティンガの最後の直弟子として、長年ティンガティンガ・アートの屋台骨を担い、多くの若者を育ててきたアモンデさん。そして自らも生涯現役のティンガティンガアーティストとして、人生を貫きました。
70歳を過ぎても、作品から素朴な味わいがなくなることはなく、独特のあたたかいユーモラスな作品を描きつづけいたアモンデさん、ティンガティンガ村(アート工房)では、真っ赤なランニングシャツ姿で、70代とは思えない筋肉の張った腕で、絵を描いていた姿をなつかしく思いだします。
長年同じテーマで描きつづけているのに、素朴さを失わなわい作品が仕上がってくることに、いつも感動していました。シンプルでユニークであたたかい、アモンデさんの描くティンガティンガ・アートが大好きでした。
若者たちに惜しみなく絵を教え、育てながらも、
「初めはどんどん模倣して覚えていけばいいのさ。そこから、自分の作風を作っていけばいい。ただし、いくら真似をしたって、誰もわしと同じ絵を描くことは誰にもできないよ」
と笑うアモンデさんの茶目っ気たっぷりの笑顔が好きでした。
「自由な発想で、タンザニアの動物や自然や生活を描くのがティンガティンガ・アート、ティンガティンガさん自身もそう教えてくれた。その中から、ピンク色のライオンや、虹色のカバといった、わしの作風が生まれたんだ」
「何枚同じ構図で描いたって、毎回色合いも表情も違ってくる、だから描いていて飽きることなどないよ。もっともっと描きつづけるさ」
故郷のナカパニャ村に住んでいるご両親の長寿が自慢で、
「わしも、親父のように100まで生きるさ、ティンガティンガ・アートを描きつづけながらね。」
と言っていたアモンデさんでしたが、お父様を2か月ほど前に見送った後、間もないうちに、74歳で亡くなってしまいました。とても残念です。
私たち(島岡強&由美子)は、ご葬儀の翌日(2月21日)ご自宅に弔問へ行き、お墓参りをしてきました。
まだ埋葬したばかりというのが一目でわかる、やわらかい土がもられたアモンデさんのお墓は、ムスリムもクリスチャンも共に眠るミコチェニの墓地の中にありました。
ここは、宗派を問わずに埋葬されているので、アモンデさん(ムスリム)のお隣のお墓は、クリスチャンの方のようで、十字架が立っていました。
ティンガティンガ氏一人から始まり、一族のみに伝える方法で始まったティンガティンガ・アート、創始者亡き後は、アモンデさんを含む直弟子たちによって、ティンガティンガ一族以外の人にも門戸を開き、多くの若者を受け入れて育ててきました。その姿勢によって、今のティンガティンガ・アートの発展があります。
1つの絵に、必ずストーリー性も持たせ、主人公となる動物だけでなく、小さなちょうちょ、カエル、カメレオン、バッタ、鳥などのわき役を登場させて、平和を感じさせる絵を描きつづけ、出身地や宗教などを超え、弟子入りを希望する多くの若者を受け入れながら、ティンガティンガ・アートを発展させてきた、アモンデさんらしいお墓だなと感じました。
そんなアモンデさんのお墓に向かって、長い間すばらしい絵を描きつづけてくださって、ありがとうございました。感謝のきもちでいっぱいです。これからも、ティンガティンガ・アートの発展をお見守りください、とお祈りしてきました。
みなさん、これからも、アモンデさんの絵と一緒に、ティンガティンガ最後の直弟子として、生涯をティンガティンガ・アートに捧げた、アモンデさんの笑顔を覚えていてくださいね。
島岡由美子

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