古くから嶺南地方から京都まで「鯖のへしこ」を運ぶ為に鯖街道が整備された。この「鯖のへしこ」は若狭湾で獲れた鯖を塩漬けにし、糖や唐辛子等とまぶした保存食であり、昼夜休みなしで京都まで運ぶとよい塩梅になることから「鯖街道」と呼ばれるようになった。この鯖街道に沿って明治4(1871)年1月に鉄道の敷設が計画された。その後、明治27年4月、滋賀県知事や地元有力者を中心に大津〜小浜間の路線が計画された。
しかし、日清戦争の勃発等で具体的な鉄道建設が行われずにいた。その後、大正8(1919)年8月19日、新浜大津〜若狭町間に鉄道敷設免許状が下附され、計画から四半世紀が経った大正9(1920)年2月に江若鉄道株式会社が設立された。翌年には三井寺下〜叡山間の一部区間が開業し、10年の歳月をかけて浜大津〜近江今津間の約51kmが開業した後、鉄道建設は中止された。
戦後、モータリゼーションの影響等により経営が逼迫し、国鉄湖西線の建設決定に伴い、昭和44(1969)年10月31日の営業を最後に廃止された。
◎ 江若鉄道は、大津〜若狭間を結ぶ計画から設立された為、乗車券類の地紋には近江(Oumi)の頭文字「O」の中に若狭(Wakasa)の頭文字「W」を組み合わせた社章が印刷されていた。
<浜大津駅発行【昭和44年8月3日発行】>
◎ 券面の注意書には、「下車1回 駅員配置駅限」と記載されているところから、途中下車について、有人駅に限って一回出来たと推測される。

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