外れではあるけれど同じ東京に住んでいるのに、なかなか行けない東京がある。その1つが、隅田川端の三囲神社。神に願をかけようというのではない。ここには
富田木歩の碑がある。それが見たい。木歩のこんな句が刻まれている。
夢に見れば死もなつかしや冬木風
富田木歩。本名は一(はじめ)。明治30年生まれの俳人。生まれた家は旧家だったが、父の蕩尽と火災で財産を失った。その呪いか、一は誕生後まもなく高熱のために両足が麻痺し、生涯歩行不能となった。貧しいから働かざるをえず、商家で床に這いつくばって働いた。
やがて大正12年、関東大震災。木歩は須崎町の家を這い出た。親友の新井声風が助けに行くと、妹たちに運ばれてきた木歩が隅田川の堤の桜の木の下のござの上にいた。声風は木歩を背負って逃げた。周囲は火だるまだった。生き延びるには川を泳いで渡るしかない。しかし、声風は泳ぎが不得手だった。川岸で木歩と別れた。声風が川へ飛び込む。数時間して対岸にたどり着く間に、木歩は焼け死んだ。木歩、26歳。
青空文庫には、木歩の散文
「小さな旅」が収録されている。小さな旅とは、須崎町からすぐ近く、向島の姉の家への旅だ。
−−−−−−−−
行く春や蘆間の水の油色
思い残すこともなく帰途についた。三圍神社の蓮池には周囲の家の灯影が浮いて蛙が鳴いている。其角堂では今頃何をしているだろうか。
青蘆に家の灯もるゝ宵の程
対岸の十二階の灯にも別れを告げて、薄暗い通りを辿って家へ帰った。
留守中に山形の木屑兄の句稿と出雲の柿葉兄の絵ハガキとが来ていた。
−−−−−−−−
三囲神社のあたりは、最近何かと騒がしい。木歩が広く知られるようになったからではない。完成間近の東京スカイツリーという化け物が、ここからよく見えるからだ。
僕の一番好きな木歩の句。
うそ寒や障子の穴を覗く猫
「小さな旅」 えあ草紙

1