宮澤賢治「銀河鉄道の夜」
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。
と先生は、生徒の一人を当てるが、その子は、答えられなかった。その次に指された子も、もじもじするだけだった。この少年二人が、銀河鉄道に乗って旅をする。
欠落した原稿と未完成で、作者の死後発見されたこの作品が、なぜ時を経ても読む人の心を掴むのだろうか。その疑問と共に私は思う。人は死を迎えたとき、誰もが銀河鉄道に乗れるのだろうか。少なくとも賢治は、それを信じたに違いないと。
銀河鉄道から一人だけ降りたジョバンニは、子供でも死ぬのだということを知る。だから自分はどう生きなければならないのだろうかと考えなければならない。
ジョバンニは、カンパネルラの父から父の帰宅を告げられる。その父親の帰宅を母に告げようと走り出すところで話は終わっている。悲しみで張り裂けそうな思いと、父が帰ってくる喜びがジョパンニの中で溶け込んでいき、迷うことなく彼は母に向かって走る。大人だったら悲しみと喜びを天秤にかけ立ち止まるところなのだが、子どもは走る。ジョパンニは、前を向く。カムパネルラとの思いを胸の奥にしまいこみ「ほんとうの幸せ」に向かっていこうとしている。
梅雨明けの夏の空は雲が厚い。その雲の向こうで、今宵も銀河鉄道は走る。

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