小学生の頃、連休に母や叔母一家とドライブに行った。どこへ行ったのだったか、とにかく山の中だ。田植えを見て上がってきたのは、私たちだけではない。当時今ほど車が多いわけではないが、近隣の行楽地への道路は車が繋がる。後部座席で後ろ向きになって、後続車に手を振ったら、ドライバーが手を振り返してくれた。それを見ていとこたちときゃきゃと騒いでいた覚えがある。反対に向こうから降りてくる車もある。そんなに道幅は広くはないのだから、運転の上手な叔父のすり替えのテクニックに一同、感嘆の声。気の抜けないこともあっただろうが、母や叔母、私たち子供の話を聞いて笑っていたから叔父もドライブが楽しんでいた。その叔父が一服しようと言い出した。
坂の上の茶店を見つけて、駐車場に止めるた。私もいとこたちとわいわい騒いで降りた。圧縮されたぬるい空気から解放された私は、いとこたちの後を追って、茶店のお土産を目にして走ろうとしたら、母が呼び止めた。そして、
「ほら、桐の花だよ」と道路の向こうを指差した。「きれいな花だね。あの木が箪笥になるんだよ、お嫁に行くときに持っていくんだよ。そして幸せになならなければね」と言うと母はしばらくじっとしていた。
青い空に伸びる薄紫の花は、あまりにも高いところにあり、その高さが、「幸せ」と私の距離のような気がして、何がなんだか分からない。実感のないふわりとした希望を絶望というオブラートが包んでいるようだ。砂をかんでいるようで、それでいてどこか安心のある奇妙な気持ちで母を斜め下から見上げた覚えがある。母は微笑んでいるように思えたがが、私は自分の感情にめんどくさくなったのだったか、それともいとこたちに遅れをとりたくない一心だったか、何も言わずに駆け出した。母は遅れて店に入って来た。
今年は、例年になく雨の多い春だ。その隙間の青い空。母を見舞ってくるかと施設へ車を走らせた。寝たきりの母は、どんよりとした目でじっと私を見た。そして認知症という鉱石から認識という一粒の宝石を見つけ、感情失禁のまま泣く。母の涙に慣れてしまった私は、母の重さそのままの、力の抜けた体をよいしょと窓の方へ向きを変えた。そのとき、認知症独特の淀んだ目が、空のように、一瞬澄み切った。私は、その瞬間を逃すまいとして、「おかあさん」と呼びかけると母は私のほうをみてにこりとした。 その笑顔をみて、ふと桐の花を指差したときのことを思い出した。 私は、「幸せだよ」と母に知らせてやろうとしたが、あまりにもうっとりと外をみているので、私は何も言わないことにした。
話は前後するが、学生時代、岡本かの子の文章を読んで、桐の花とはこんな花だと確信した。そして今日から五月。
ものものしい桜が散った。
だだっぴろく……うんと手足を空に延ばした春の桜が、しゃんら、しゃらしゃらとどこかへ飛んで行ってしまった。
空がからっと一たん明るくなった。
しんとした淋しさだ。
だが、すこし我慢してじっと、その空を仰いでいた。
じわじわと、どこの端からかその空がうるんみ始めましたよ、その空が、そして、空じゅうそのうるみが拡がって。
その時、日本の五月の朝の中空には点々、点々、点々、点々。細長いかっちりした薄紫の鈴――桐の花です。お洒落でつつましやかで、おとなしくてお済しで、群っていても実は孤独で、おっとりしていてもなかなか怜悧で。しのびやかにしかもはればれと桐の花。
「五月の朝の花」 岡本 かの子

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