1945年8月16日の朝は、どんなものだったのだろうと、その日を知っている母に尋ねたことがある。母は、「別に、普段の朝だったよ」と、なぜそんなことを尋ねるのかとじっと私の顔を見て答えた。近親者でも戦地へ行っている人がいただろうが、少女だった母の周りの風景は何も変わらなかった。母の育った家の近くの浜は、あいもかわらず波が砂を浚い、砂浜に浜昼顔が咲く。
母にそれを尋ねたことをすっかり忘れていた、昭和も終りに近づいた8月15日。学生時代謳歌する夏休み。私はどこへ行くのだったか忘れたが、東京出身の友達と靖国神社 の近くを歩いていたら、きちんとした身なりの年配の人たちとすれ違った。私たちは、彼らの服装と人数の多さの理由にぴんとこなかった。しばらくして、友達が
「あ、そうだ、今日は15日なんだ」と言った。
「そうだね」と私は頷いた。そういえばと、「8月16日の朝はどんなものだったのだと思う?」と彼女に問うと
「さあ・・戦後生まれた私たちには何もわからないわねえ。でもおばあちゃんが暑い夏だったと言っていたからきっと今日みたいな青い空だったのね」と彼女は空を見上げた。「おばあちゃんが言うには、三月の空襲で焼け出され、すべてをなくして、やっと終わったのだけれどね。死んだ人のこと、これから自分達はどうやって生きていくのか。それを考えると、悲しいのでもなく、辛いのでもなく、ただただ全身から力が抜けたって・・」
16日の朝日を見て、おばあちゃんが力を抜けている頃、アメリカはまだ15日だと思った。
さて、本日公開は、
「其中日記」 種田 山頭火 。 その中からこのことばを拾ってみた。
人の世に、死のさびしさ、生のなやみはなくなりません。

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