雨が降り始めると止むのだろうかと疑いたくなる。それが梅雨というものであろう。出かけることを諦めて、半ばうらみながら、半ば呆れながら外を見ていた。するとNさんのことを思い出した。
今から十年ほども前の今頃、私はある事務所でアルバイトをしていた。私の右隣は、同年代のNさんという男性社員だった。彼は、いつもアイロンのよく効いたワイシャツとズボンで、その長身を包み、少し猫背に歩く。座っていても背を丸める。
左隣のいない私は、否が応でも彼の動きだけが目に入ってくる。特に彼の結婚指輪は、私の目を惹いた。装飾のないプラチナの結婚指輪である。彼の長い指にその素朴さがとてもよく似合った。
その結婚指輪は、朝にパソコンのキーボードをたたき、昼に、買ってきた弁当を前に合掌する。そして夕方に、疲れを和らげようと肩を揉む。片時も彼の側を離れることがない。
ある月曜日、その日は、朝から雨が降っていた。私は、
「昨日は天気だったのに、今日はこれですものね。やはり梅雨ですね。」と言うと、Nさんは、それには答えずに、
「お願いするのを忘れていました。今朝、菓子箱を、冷蔵庫の上においておきました。皆さんで食べてください」と私に言って席に着いた「昨日法事だったんですよ」と付け加えた。
「あらまあ・・そうなんですか、天気が良くてよかったですね。どなたのですか?」と私は簡単に尋ねた。田舎では、法事はよく耳にする言葉であり、私たちの年齢から言うと、祖父母の何回忌というものかなと単純に思った。彼は、
「二年前に妻が亡くなりましてね」と静かな笑顔を湛えて答えた。私には、まるで「妻が旅行に行きましてね」という風に聞こえた。
彼の穏やかさに、私は、二年間の悲しみの深さを瞬時に感じ取った。私はその深さに対応しなければならなかった。何も答えないわけにはいかない。だから私は、
「・・・ということは三回忌ということですね」と精一杯、平静を装って言うと、彼はにっこりと頷いてパソコンに向かった。
彼の結婚指輪が、パソコンのキーを打つ。私は彼の結婚指輪から目を離して窓を見た。窓を打つ雨がまっすぐ流れ、二手に分かれる。
生きているものの時間が過ぎる。死んだものの時間が落ちる。
さて、仕事するかと私は、抽斗を開けた。となりのNさんは電話に出た。彼は話しながら右手で結婚指輪を回した。
ふと思い出したNさんのこと、私は尾形亀之助の詩の冒頭を口ずさんで梅雨空を見上げた。
「雨になる朝」 尾形 亀之助
夢
眠つている私の胸に妻の手が置いてあつた
紙のやうに薄い手であつた
何故私は一人の少女を愛してゐるのであつたらう
雨が降る
夜の雨は音をたてゝ降つてゐる
外は暗いだらう
窓を開けても雨は止むまい
部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる

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