1月15日成人式が、どうも頭から抜けない世代には、明日の晴れ着姿は、驚きである。そしてまぶしい。成人式といえば、私は、学校が始まっていたので、そのためだけに帰省するほど裕福ではなかったから、東京のアパートでコタツに入って、友達と飲み食いしていた覚えがある。それもまた青春であろう。
最近の女の子は、背が高いからか、長振袖でも似合う。そしておしゃれな髪を結って、ショールにバック。なるほど、今日一日だけは、大和撫子ここにありである。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は、百合の花」・・にはほど、遠いが、それでも彼女たちは、私たちのころから比べて大柄模様の和服が似合うようになっていると思う。彼女たちをみていて、そういえばと思い出した。年配の和服姿の女優さんが、首に一番気をつかうと言っていた。いくら顔をきれいに塗っても首に年齢がでるのだそうだ。そこで今日読んだのは、
人の首 高村 光太郎
人の首の中で一番人間の年齢を示しているのは項部である。所謂(いわゆる)首すじである。顔面では年齢をかくせるが首すじではごまかせない。あらゆる年齢に従って首すじは最も微妙に人間らしい味を見せる。赤坊のぐらぐらな項(うなじ)。小学校時代の初毛(うぶげ)の生えた曲線の多い首すじ。殊にえり際。大人と子供との中間の人の首すじを見るのは特別に面白い。大人になりかかって行って、此所にだけまだ子供が残っている青年などは殻から出たての蝉の様に新鮮である。水々しい若い女の首すじの美は特に私が説く迄もあるまい。色まちの女が抜衣紋(ぬきえもん)にするのは天然自然の智慧である。恋する女に向って最後の決心をする動機の一つが其の可憐な首すじを見た事にあるという話をよく聞く。自然は恋人と語る若い女性を多くうつ向かせる。其を見つめている男の眼は女の一番いじらしい首筋に注がれる。致命的なわけである。三十代四十代の男の頼もしい首すじ。又初老の人の首すじに寄る横の皺(しわ)。私は老人の首すじの皺を見る時ほど深い人情に動かされる事は無い。何という人間の弱さ、寂しさを語るものかと思う。電車の中に立っていて、眼の下にそういう一人の老人の首すじを見る時、老年のさびと荘厳さとを身にしみて感ずる。
恋する女性よ、うつむきたまえ!といったところだろうか。私はうつむいていたか・・・時がもどらないと知るのは、もっともっと後になってから。もどらないからすばらしいと知るのも・・
成人式を迎えたみなさん、おめでとうございます。

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