今朝、久しぶりに見知らぬ方から装丁の立派な詩集が届いた。地方の文学雑誌の隅に残っていた、私の住所を探されたのだろう。綺麗に整った字が並んだ宛名だった。あとがきによると、どうやらいろいろな方に送付していらっしゃるようだ。
以前は、見知らぬ方や知り合いの、同人誌、詩集、エッセイ集をよくいただいた。そのたびに感想を書き、また感想を求めて送ってこられる場合も多々あった。
八年前母が倒れて、私は、文学関係から一切降板した。当初は、送ってこられても、一切感想を書かなくなった。いや、書けなくなった。母の生死の狭間を乗り越えた、圧倒的な力は、私を自らの生き様に引きずり込んだ。あれほど寄るすべだった活字が、むなしい。活字が浮いている。私は呆然とし、心をかきむしられた。本を読まない、文章を書かないという月日。このまま人生を終わっていくのではないのだろうかと恐れおののいた。大分立ち直ったとはいえ、まだまだほんのわずかなことにもぎょっとする。
そういう状態を全く知らない、見知らぬ方や、知り合いが相変わらず本を送ってきたものだが、私から返事がないということで、ここ数年はぱったりとそういった本を手にすることがなかった。
さて、今日は、詩の基本を鮮やかに言い当てている青年のことばを紹介しよう。まずは昨日公開の・・
「北村透谷詩集」 北村 透谷
夢中の夢
嗚呼かく弱き人ごゝろ、
嗚呼かく強き戀の情、
この二行が好きである。この二行のことばの真実ゆえ、人は詩を書く。
そして・・・
万物の声と詩人 北村 透谷
すべての詩人はその傍に来りて、己が代表する国民の為に、己が育成せられたる社会の為に、百種千態の音を成すものなり。ヒユーマニチーの各種の変状は之によりて発露せらる。真実にして容飾なき人生の説明者はこの絃琴の下にありて、明々地(あからさま)にその至情を吐く、その声の悲しき、その声の楽しき、一々深く人心の奥を貫ぬけり。詩人は己れの為に生くるにあらず、己が囲まれるミステリーの為めに生れたるなり、その声は己れの声にあらず、己れを囲める小天地の声なり、渠は誘惑にも人に先んじ、迷路にも人に後(おく)るゝなし、渠は無言にして常に語り、無為にして常に為せり、渠を囲める小天地は悲をも悦をも、彼を通じて発露せざることなし、渠は神聖なる蓄音器なり、万物自然の声、渠に蓄へられて、而して渠が為に世に啓示せらる。秋の虫はその悲を詩人に伝へ、空の鳥は其自由を詩人に告ぐ。牢獄も詩人は之を辞せず、碧空も詩人は之を遠しとせず、天地は一の美術なり、詩人なくんば誰れか能く斯の妙機を闡(ひら)きて、之を人間に語らんか。
色あせぬことばに、改めて読みふける。その中から一番好きな、一文を本日の題名とする。

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