横浜といえば、港という答えが普通だろうと思うが、私には横浜といえば坂である。
先日その横浜へ行ってきた。横浜に住む知人の見舞いである。駅周辺の花屋に立ち寄った。淡いピンクの小薔薇が欲しかったのだが、あいにくなかったので、淡いオレンジがかった小薔薇を選んだ。その束に淡いピンクのリボンをかけてもらった。
花束を抱え私は、商店街を通りぬけた。すると目の前に坂がある。坂道、私は何度も薔薇の香りをかいだ。
「田舎の時計他十二篇」 萩原 朔太郎
坂
或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠くの夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸(きりぎし)の上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。
何が坂の向うにあるのだらう? 遂(つい)にやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の背後(うしろ)にしたがつて、瞑想者(めいそうしや)のやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。(中略)
しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覚を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。然(しか)り――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。
薔薇の香りが幻覚をもたらすものなら、それに惑わされてもいい。確かにこの季節、学生の私は横浜の、きつい勾配のついた坂を歩いていた。坂を上りきったところに、友達のアパートがあったので、よく彼女のところへ行った。
平野で生まれ育った私には、きつい勾配のついた坂は珍しく、横浜で「関東台地」を実感したものだ。そのときと、なにひとつ変わってはいない。すれ違う人たちのことばにしても。
だから友達のアパートが今でも坂の向こうにあるに違いない。六畳一間に彼女と私は、トレーナーにGパン姿でいる。そしてテーブル代わりの炬燵の上にお菓子を広げて笑いころげているのだ。
朔太郎の書く通り、坂の向こうにある風景は永遠の『錯誤』にすぎないのかもしれないが、坂の向こうにある時間は永遠の『錯覚』であろう。時間が戻るという、その錯覚があれば人間は、生きていくことができるような気がする。そういった力強さの半面、錯覚におぼれることに一抹の不安を抱いた私は、坂の天辺の手前で薔薇の花束を抱えることをやめて、後ろに隠してみた。

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