「青空文庫の存在意義」富田倫生
言語による著作物をデジタル化し、共有財産として活用しようとする試みは、すでにたくさんの人たちによって進められています。
私たちは先駆者でもなければ、孤独なランナーでもありません。
先を行く人たちの同意が得られるなら、青空文庫を拡充するために、すでにある成果をどんどん使わせてもらおうと思います。
ただし、ここで新しく青空文庫をはじめることにも、当然のことながら意味はあると考えています。
それは、デジタル化した原稿を、読みやすさを考慮した器におさめた上で、手の届きやすいところに並べておくことです。
電子化された文章は、画面で読むに足る姿形を与えられてはじめて、誰もが共有できる財産になる。皆がためらいなしに読みはじめ、その恵みに浴することができるようになるでしょう。
加えて、各所に散在している電子本という実りに、素早く、確実にたどりつけるよう道しるべを用意することにも、意味があるはずです。 (1997年7月7日)
他で書いた覚えがあるが、日本のアニメは、いまや世界のアニメである。アメリカの青年は、「ドラゴンボール」の”ピッコロ”のファンだといい、ムスリムのアラビアの青年は、”おら”が一人称であることも知っている。アニメだけではない、彼らと話をしていると、日本文学への言及もある。三島、そしてW村上の名前がでてくるのは当然として、芥川、漱石の名前がでてくる。日本文学に興味があり、日本語を上達したい人たちにとって「青空文庫」の作品は、教科書でもあろう。それを知る私は、富田さんのこの言葉を理解する。「デジタル化した原稿を、読みやすさを考慮した器におさめた上で、手の届きやすいところに並べておくことです。」
日本語を学びたい、日本文学に触れてみたいという海外の人に、私は「青空文庫」を教えることにしている。世界のどこにいても、無料で日本の作家の文章に触れることができるのだから。童話ならひらがなで書かれているので、初歩の勉強には適している。カナダ人が、それらのテキストは読むだけなのかと尋ねたので、青空文庫は、あくまでボランティアであり、そのテキストが、音訳されて、視覚障害者の方々に利用されていると話すと、彼は、青い瞳を輝かせ、なるほどと日本語で答えて、笑みを浮かべた。。
大学の卒論を書くのに、青空文庫から作品をダウンロードしたと日本人の友達が語ってくれた。などなど・・私の身近な人たちが多種多様の使い方をしている。富田さんが、上記の文章をお書きになった頃では考えられなかった方向でも青空文庫は使われている。
さて、明日は、青空文庫の願いについて語ってみよう

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