トリノオリンピックは、前半を折り返した。毎朝眠い思いをしているファンも多いことだろう。タイミングよくというべきか、本日の公開は・・
「安吾巷談ー 世界新記録病」 坂口 安吾
ースポーツも勝負であるから、勝敗を争うのは当然であるが、それと同時に、練習の結果をためしている賭の要素が大きい。練習をつみ、その技術に深入りするほど、賭に打込む情熱も大きなものになる。偶然にまかせるルーレットの類とちがって、練習というものは合理的なものだ。いや、力というものを技術によって合理化し、ほぼ、あますところなく合理化してしまうのが、訓練、又は、練習というものなのである。もう一つ、その上に、試合に際して、相手とせりあって発する場合の力というものがある。つまり、勝負強いとか、勝負師の力があるとか云われているものが、これだ。そして、これが、賭というものなのである。ー
練習では、完璧に滑られたのに、飛べたのに・・・しかし本番、大勢の観客の前で、練習通り、練習以上のものが出来るかどうか、普段の力を出しきれるかどうか。これが賭というものなのであるということ。
世界新記録病を患っているのは、選手なのか、スタッフを含めた日本人の観客なのか・・それとも両方なのか・・・世界記録病だけがオリンピックではない。数々のドラマがあり、それは”伝説”となって私たちは感動し、そしていつまでも覚えている。私たちの知らない遠い昔話だが、静かな感動が広がる話で今日は締めよう。
この安吾の話より30年以上も前、1912年にスウェーデンのストックホルムで行われたオリンピックに金栗四三さんは、マラソンの選手として出た。金栗さんは、レース途中で腹痛を訴え、棄権してしまった。それから、半世紀以上も経た、ある日、金栗さんの下へ一通の手紙が届いた。スウェーデンのオリンピック委員会からである・・・どんな内容だったかは、下記のサイトの下方に詳しい。
「金栗四三展」
記録というものでは図りきれないものが、この話にはある。人は数字だけではない、それ以外のものに感動し勇気を与えられる。
日本オリンピック委員会のHP

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