市は私の図書館に電気を仲々つけてくれなかった。ついに私は十二月二十八日思い切ってポケットマネーで電気をつけ、早速希望音楽会を開いた。チャイコフスキーの「悲愴」とベートーベンの「第九」という、敗戦の年の暮を一層重く苦しくするものを敢えて選んだ。百名の青年男女が、ガラス窓の破れてソヨソヨ風の吹き透す会場で、皆外套襟巻すがたで聞き入った。第九の合唱がはじまるまで、人々は壊えはてし国の悲しさが、この部屋に凝集するかのような思いであった。そのかわり、「第九」の合唱となり「ああ、友よ」と遠い敗れ去ったドイツから、二百年の彼方シルレル、ベートーベンから呼びかけられたとき。皆、深く、頭をうなだれて、眼に涙をうかべさえしたものもあった。私も一生、あの時の如く「第九シンフォニー」を激情をもって聴いたことも、また聴くこともあるまい。私は会が終って、感動の激情を聴衆に伝えずにはいられなかった。
中井正一「
地方文化運動報告 --尾道市図書館より」
同じ年の秋から、中井正一は尾道の図書館で働いていた。こう考えながら。「これから疲れはてた青年達をして、この昏冥の意識の中から、立上らしめるきっかけを与えるには何うしたらよいであろうか。次から次に、マックアーサー司令部から与えられつつある自由を、真実の姿をもって、青年の魂の中に浸み込ませるには何うしたらいいんだろう。」
ある日、見た事がない青年がひとり、書架から本を降ろしているのを見る。共に働く中で、青年が描いた絵を見ながらこう思う。
「ここに一人の青年が結集している。ここにすでに最小単位の文化運動が始まっている。」
10月、中井は行動を開始する。その中の12月の風景である。1945年12月28日。
希望の前に吹く風を、受けた日。
筆者が書く記事は、年内はこれが最後です。読んでいただき、ありがとうございました。

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