槐(えんじゅ)の根もとに走り寄った敏子は、空気草履(くうきぞうり)を爪立(つまだ)てながら、出来るだけ腕を伸ばして見た。しかし籠を吊した枝には、容易に指さえとどこうとしない。文鳥は気でも違ったように、小さい翼(つばさ)をばたばたやる。その拍子(ひょうし)にまた餌壺(えつぼ)の黍(きび)も、鳥籠の外に散乱する。が、男は面白そうに、ただ敏子を眺めていた。反(そ)らせた喉(のど)、膨(ふくら)んだ胸、爪先(つまさき)に重みを支えた足、――そう云う妻の姿を眺めていた。
芥川龍之介『
母』
描写が眼に見えるようなのに、空気草履の辺りがぼんやりとなっている。
このことに我慢が出来ない全世界数万人(推定)の読者の皆さんお早うございます。
エアマックスな草履を履いて疾走する娘さんを、今朝は妄想していました。
6月3日に書いた、
空気草履についての記事の続きです。
空気草履ってなんだろう、と調べはじめたのはいいものの、
画像もなく、説明しているサイトもありません。ただ、空気草履で検索した結果を眺めていると、次のようなことがぼんやりと見えてきました。
・明治時代以前には「空気草履」という言葉はない。
・現代の履物屋さんでは扱っていない。
・売られていた時代、履いていたのは主に女性。
地元の図書館には「資料相談」があります。ある日、履物の歴史を扱った本があるかどうか尋ねてみました。司書さんが何冊か持ってきたのですが、残念ながらその中には「空気草履」の記述はありませんでした。
今にして思えば、持ってきていただいた本は、民俗学の視点による履物の本でした。民俗学で扱われていないと言う事は、随分最近の、ごく短期間の流行であったのではないか。民俗ではなく、風俗の分野で調べるべきだったのでしょう。ここで、ひと休みしました。
調査を休止していた期間中に帰省しました。実家には、昔買った百科事典がまだ生き残っていました。眠る前に「空気草履」の事をふと思い出し、ダメモトで百科事典を開いてみました。すると、「はきもの」の項に「空気草履」の言葉が載っているではないですか。
そこには考案者として「伊藤仙之助」の名が紹介されていました。彼は袋物屋の職人。日清戦争後に、パナマ地を使って空気草履を考案したそうです。(『日本大百科全書 第14巻』1987年3月初版、小学館)
さて、伊藤仙之助さん。一体この人はどんな人なんでしょう?
項目の最後に紹介されていた参考文献四冊のうち、三冊の中には彼の名は登場しませんでした。今は、残りの一冊『はきもの変遷史』の在り処を探している所です。
(続く)

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