岩野泡鳴が1920年の今日亡くなった。さて明治時代から大正時代にかけての作家、詩人、評論家なのだが、どう書いていいのやら・・
読み手が、作品に惹かれるということには、3つの理由があるように思う。
1) ストーリーが面白い。味わい深い
2)描写が上手い
3)比喩(言葉)に引力がある。
泡鳴の活躍した時代、鴎外や芥川のように三拍子そろった作家もいれば、泉鏡花のようにストーリと言葉で作品を面白くしている作家もいるし、徳田秋声のように描写の上手さで話の奥を深めた作家もいる、そういった中にいた泡鳴である。時代が後になればもっと泡鳴には他の評価がでたのだろうと思う。
端的にいえば、泡鳴の作品は一回読んだだけでは面白くないのである。
「戦話」を読んでみてもわかるが、主人公と友達との会話が延々と続く。泡鳴は、友達の戦争に行ってきた話を聞くのだが、はっとするストーリーの展開もなければ、読み手が唸る描写があるわけでも、惹き付けられる比喩(言葉)もない。読んでいて退屈といえば退屈である。
退屈な小説が90年近くも読み継がれてくるはずはない。退屈の中に潜んでいるものがある。戦争という狂気、腕を失った友人が一段と深い厭世観を持つに至った理由、友人の妻と友人の関係、酒を酌み交わしながら泡鳴と語り合う風景は、装飾のない平淡な筆致である。まるでカメラを一台、友人の部屋に設置したドキュメンタリーを見ているような、一点透視図法で書かれた絵をみているような錯覚に囚われる。
カメラが捕らえようとしているもの、絵の中にあるものは、人間の生と死だろう。残った右腕で左腕の切断面を撫ぜて確かめずにはいられない生なのである。八ヶ月後に葬式という死なのである。残されて生きていくということは、それらを全部引き受けていかなければならないということである。
そこまで読み込むのに私は随分時間を食ったように思う。この稀な作家は、当時いろいろな人に愛されていたらしい。
「岩野泡鳴氏」芥川龍之介
ー僕よりも著書の売れ高の多い新進作家は大勢ある。――僕は二三の小説を挙げて、僕の仄聞(そくぶん)する売れ高を答へた。それらは不幸にも氏の著書より、多数は売行きが好いに違ひなかつた。
「さうかね。存外好く売れるな。」
泡鳴氏は一瞬間、不審さうに顔を曇らせた。が、それは文字通り、一瞬間に過ぎなかつた。僕がまだ何とも答へない内に、氏の眼には忽(たちま)ち前のやうな溌剌たる光が還(かへ)つて来た。と同時に泡鳴氏は恰(あたか)も天下を憐れむが如く、悠然とかう云ひ放つた。
「尤も僕の小説はむづかしいからな。」
詩人、小説家、戯曲家、評論家、――それらの資格は余人がきめるが好い。少くとも僕の眼に映じた我岩野泡鳴氏は、殆(ほとん)ど荘厳な気がする位、愛すべき楽天主義者だつた。ー
「有明集前後」 蒲原有明
ー岩野泡鳴氏はあの負け嫌ひであるが、それも隨分とやかましいマラルメを擇んで、佛蘭西語の原本から直接に飜譯するといふ意氣込みであつた。「白鳥」もさうであるが、「泡」と題する詩が手始めで、をりからわたくしは同氏を訪問してゐたので、少しは字引の方の手傳をした。詩は短いが、一字一字洩れなく引くのであるから大變である。まづさういふ熱心さはそのころ誰しも抱いてゐたところである。佛蘭西語を全く知らないでゐて、マラルメを原詩から譯さうとするのは無謀である。笑はれてよいにはちがひないが、そこには眞劍味もあり強味もあつた。とても才人ぶつてはゆけなかつた時代である。ー
「詩と散文との間を行く發想法」折口信夫
ー岩野泡鳴がゐた。此人は、理論から見ると、十分日本の文章を知つてゐたが、實際になると、失語症の樣な處があつた。そのぶきつちような處に、泡鳴らしい味ひがあつたものである。ー

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