正月になると、松平維秋のことを思い出す。というのも、下手な釣り師だった彼は巧みな料理人でもあって、おせち料理にはことのほかうるさかったからだ。彼は特に雑煮を大事に調理した。雑煮でも魚を重視した。
彼は結城秀康の直系の子孫で、だから生まれは小田原だが、魚を使う雑煮は福岡の伝統的なそれだ。魚はブリ。取材で福岡へ行って、覚えたらしい。
ブリは難しい魚だ。関東では天然ものをブリ、養殖ものをハマチというが、安いからといってうっかりハマチを買うと、調理法によっては過剰な脂分に堪えがたい思いを味わわせられたりする。天然もののブリも、乱獲のせいか、肉質のひどいものが目立つ。
というわけで、松平は、雑煮のためにわざわざ築地の市場まで出かけた。素人だからまさか市場の競りには加われないが、場外の魚屋で選ぶ。貧乏だったけれど、このときは費用を惜しまなかったらしい。
そんな彼の姿勢が、青空文庫に残された
「松平維秋の仕事」には全面的に反映している。例えば、「マイナー志向」という音楽エッセイの一節。
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まだテレビが入って間もないころ、「日曜なのに、なぜ詰まらない番組ばかりなのかしら?」と、新聞を開きながらわが母親が言った。「日曜は一番たくさんの人が観るはずなのに?」。「だからこそ詰まらなく造ってあるんだよ」と中学生のぼくは応えた。「どうして?」「たくさんの人が喜ぶものが面白いわけがないじゃないか」
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たくさんの人に喜ばれるものは安い。だから、さらにたくさんの人がむらがる。だが、それは、所詮は平均的な嗜好に向く仕立てのものでしかない。だから、平均的な嗜好から少し外れたところにいる人間にはつまらない。
たかがブリの切り身1つといえども丹念にいいものを選ぶ姿勢は、ここから出ている。
松平はジャズ喫茶勤務で出発し、ロック喫茶のDJになり、それと並行して音楽評論を続け、数多くの文章を残した。音楽に興味のない向きには郷土文化を訪ね歩いたシリーズもおさめられた「松平維秋の仕事」にぜひ目を通してみてほしい。
松平維秋の仕事 えあ草紙

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