9月某日、早朝家を出て、両親と西伊豆の土肥へ車を飛ばす。今日は母方の祖父の二十七回忌である。
母が幼少の頃、実家は土肥で3軒の温泉宿を経営する裕福な家庭だった。その財産を、物の見事に散在したのが祖父である。ただし、散在の理由は俗に言う、「飲む打つ買う」ではない。
新しいもの好きの祖父は、伊豆で初めてのタクシー会社創設など、とにかく次から次へと目新しい事業を展開しては、失敗したらしい。
そんな祖父が最後に手がけたのが、在日米軍基地の通訳という仕事だ。その時代に、英語がペラペラだったというのだから、新しいもの好きも、そこまで到達すれば大したものである。
そういえば、祖父の葬式に、制服をビシッと着こなした在日米軍の上級将校が焼香に現れた時には、子供心に「お祖父ちゃんって、カッコよかったんだな」と思ったものである。
さて、そんな祖父と、そして長年連れあった祖母が他界してから、早いものでもう20数年が経つ。
祖父母が健在だった頃は、盆や正月に必ず親戚一同が集まって宴を開いたのだが、今はそれもなく、皆が揃うのはこういった法事の時くらいである。
高速道路の渋滞もなく、菩提寺である土肥栄源寺に着いたのが集合時間の1時間前。親戚の姿はなく、どうやら僕らが一番乗りのようだ。
こうなるとじっとしていられないのが、僕の性分である。境内をふらふら歩くうちに、何時の間にか家族の前から姿を消し、歩いて10分程の土肥の岬へ向かってしまった。
青い空に雲はないが、気温が高すぎるせいか、駿河湾の向こうにそびえるはずの富士山の姿は霞の中だ。優しく打ち寄せる波と戯れ、カニの姿を探すうちに、何のことはない、戻ってみれば親戚一同すでに勢揃いしていて、例によって「どこに行ってたの!」とお叱りを受ける。
「いやぁ…。ちょっと青い海が見たくなって…」などという言い訳が通じるはずもない。
それでも無事法要を済ませ、精進落としを終えた後、一同は戸田港の民宿へ向かう。
今宵の宿は、戸田港の目の前に経つ、馴染みの宿「角屋」である。
目の前に広がる戸田の海を眺めながら、さっそく一風呂浴び、夕暮れの散歩に出かける従兄弟を横目に見て、こちらは湯上りのビールである。
「この一杯がやめられないんだよなあ♪」
そして待ちに待った夕食の卓には、なんとも豪華な海の幸が並んだ。
「うひょ〜〜っ!こんなに大きなキンメダイの煮付け、見たことないや!」
何時しか口にするのはビールから、伊豆の地酒に変わり、久しぶりに親戚一同集まったせいで気分が高揚したのか、あるいは例によって、ただ単に飲むピッチが早すぎたのか、この辺りから僕の記憶は怪しくなってきる。
くそ〜〜っ!タカアシガニもキンメダイも、船盛りの豪華な刺身も、全然食った覚えがないぞ!
後から聞いた話では、叔父夫婦が泊まる部屋で開かれた二次会の席でも、ガンガン地酒をあおった僕は、ひとりで喋りまくり、そして部屋に戻って大騒ぎした挙句、70過ぎの母と手を繋いで寝たらしい。
う〜〜ん。いい歳して何やってんだか……などと、これっぽっちも思わないところが、僕のマザコンたる所以である。
それだけ飲みながら、なぜか翌日、二日酔いになることもなく、富士山の湧き水が溢れる柿田川の湧水地に寄って、「うんうん。やっぱり蕎麦は水が命だね」などと、冷たい手打ち蕎麦を平らげて、いくつになってもお騒がせのドラ息子は、両親を乗せて、東名高速を一路横浜に向かうのであった。

西伊豆御浜海岸 割烹民宿「角屋」
住所:静岡県沼津市戸田3703-4 TEL:0558-94-3164

16