今朝、ウェヴサイトのニュースを見て知った。
世界GPでも勝利した経験を持つ二輪レーサー阿倍典史選手の交通事故死。
ニュースによれば、阿倍典史選手は500ccのスクーターで走行中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けきれず、衝突、搬送された川崎市内の病院で死亡、現場はUターン禁止の場所だったという。 享年32歳。
90年代に登場した若き天才レーサーの死に、しばらくは言葉が出なかった。

父は公営のオートレーサー、18歳で日本チャンピオンのタイトルを獲得後は、世界GPへと活躍の場を移した。
95、96年の鈴鹿での世界選手権、日本GPでのケビン シュワンツ、ミック ドゥーハン等との後輪をスライドさせての戦いを思い出す。
当時、二輪メディアに身をおいていた自分は、某ヘルメット メーカーのパーティーで同席させていただいたことがある。 日本タイトル獲得後の記念パーティーだったかもしれない。
当時の「ノリック」は、身体も声も細い、まだ少年といった印象だった。
コメントをいただいた後、「これ、持って行ってください」と言って、色紙にサインを書いてくれた。 メーカー広報の某氏が写真を撮ってくれ、色紙に添付してくれた。
あの色紙は、今も日本の家内の実家に保存されている。
「タイヤが滑り出したので、ビビってそれから攻められなくなってしまいました」などど、飾らずに素直に本音のコメントを出す珍しい選手でもあった。
近年は、スーパーバイク世界選手権に参戦、今年から全日本に復帰していたとのことで、早すぎる死が残念でならない。
改めて思うのは、二輪レーサーの引退後の地位のあまりの低さ。
世界タイトルを取った選手ですら、その後は脚光を浴びることが、あまりに少ないのが残念でならない。

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