先週末の土曜は娘の日本人学校の卒業式。

会場には、日の丸と五星赤旗、そして香港特別行政区の旗が掲げられ、改めて自分たちが国外で暮らす身であることを感じさせる。 思い起こせば、3年前の2003年の入学式当時は、華南地区を震撼させたSARSの猛威が未だ納まりきらない頃、一時帰国した日本から戻らない生徒も多く、全員が揃わない入学式だったことを思い出した。
小学校の入学式に掲げられていたのは、日の丸と英国植民地香港の旗、しばらくして、「Borrow Place, Borrow time.」99年という永遠に思われた時間は過ぎ、借りた場所は返されて、旗も変わった。 改めて、時の流れと時代が変わったことを認識する。
もうひとつ時代が変わったことを感じたのは、卒業式の唄。
かつての卒業式の定番であった「仰げば尊し」や「蛍の光」は、唄われなくなっている。 代わって唄われるのは、旅立ちをテーマにした混声合唱の曲。
稽古を重ねて磨き上げた混声合唱は、荘厳でもあり、確かに素晴らしいとは思うけれど、やはり、自分は、文語体で格調の高い「仰げば尊し」での卒業を望んでいた。
聞くところによれば、歌詞に問題があったり、文語体による歌詞の意味がわかりづらいという理由からとのこと。 歌詞の何処に問題があるのかも理解できないけれど、文語体の歌詞がわからなければ、教えれば良いこと。
自分たちの頃には、確か授業を割いての説明があったと記憶している。いずれにしても、やまと言葉に通ずる文語体の歌詞は、日本人の感性に触れるものがあり、自分の記憶の中には今も息づいている。。
新しい世代の子供たちは、自分たちが卒業式で唄った歌に卒業式というもののイメージを重ねて行くこととは思うけれど、一方で、古くから引き継がれてきたもの否定は、伝統と自分たちが積み上げて来た文化の否定のようにも感じられる。
「式」というものは、形式美の世界。 神主が祝詞の手順を変えることがありえないように、伝統を踏襲することが美しいと思うのは、自分が旧い人間だからだろうか?
できれば、あの格調高い歌で卒業式を記憶に刻んで欲しかったと思うのは、たぶん親の方だけ? 成長の過程での親子で共有できる事柄も減り、少し残念な気もする。

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