ジャンボ!お元気ですか?
オールアフリカゲーム2011(4年に一度開催されるアフリカ大陸のオリンピック)を終えて、ザンジバルに帰ってきました。
いつもなら、ジャンボ!ジャンボ!の明るい挨拶を交わすことから、帰国挨拶が始まりますが、今回は、ザンジバルのヌングイ沖で起きたフェリー・スパイス号沈没事故の追悼と、互いの友人知人の安否を確かめる挨拶から始まっています。
ラマダン(断食月)後のお祭りをザンジバルで過ごした家族連れが多く乗っていた、フェリースパイス号が、ペンバ島に向かう中での沈没事故。マリンディ港を出船して約4時間後、ヌングイ沖の、よりによって水深300m以上の深い場所で沈没。
事故発生当時、大勢の乗客が、携帯電話で、船が沈みそうであることを知らせ、沈没する間際まで、助けを呼んでいたそうです。
死亡193名、612名救出と発表されていましたが、その後、タンガやモンバサまで流された遺体も含めて、発見された遺体は204体。
600人乗りのフェリーには、2000人以上詰め込まれ、米や芋など荷物も多く、船の後方が沈みがちだったので、荷物や人を、船の前方に移しかえてから出船という一幕もあったとのこと。(その様子を見て、予定を変更して、船を下りた人達もいたそうです)
船と共に行方不明となった人達の数を入れると、犠牲者は1000人以上になっている模様です。
(乗船者数が、チケット発行数で特定できないのは、10歳に満たない子は無料で乗り込んでいるので、子供の数がまったく把握できないからです)
助かった人のほとんどは、デッキに乗っていた人達で、船内にいた人達は、船とともに沈んで行方不明というのが実態だそうです。
唯一の救いは、事故当時、無風で、海はとても静かだったので、船内にあったバケツやマットなどにつかまって浮いていられた人達が多く助かったということでした。
ヌングイ港の漁船が中心となって大勢を救ったそうです。
その後、南アフリカから救助隊が来たものの、水深50mましか潜れず、沈没したスパイス号や、乗客の確認はできず、潜水艦でもこない限り、船体確認もできない状態だそうです。
ヌングイ港に引き上げられた遺体は、ザンジバルタウンに運ばれ、ふだん、サッカー場やお祭り会場となる、国立病院傍のムナジモジャ広場に並べられ、親族による遺体確認がされた順に、国の方で用意した共同墓地に埋葬していかれたそうです。
柔道選手のモハメッドは、事故発生当時、警察官として、ヌングイ港から運ばれてきた多くの遺体を守る役目で、たくさんの嘆きの対面にいあわせたので、それを思いだすとつらくなる、二度と海難事故が起きてほしくないと言っていました。
友人のセレマニさんの家では、ラマダン(断食月)中から来ていた妹さんと子供達6人が亡くなっていました。
ラマダン後のお祭りを楽しんた後、ペンバ島に帰る妹さんと子供達を、フェリーの中まで入って見送ったのが最後の別れとなってしまいました。
5人の遺体確認はできたそうですが、一番小さい子は見つからないまま、埋葬の祈りをあげたそうです。
セレマニさんは、預かった子たちの遺族への見舞いに、ペンバ島に行っています。
ザンジバルでは、乗客と荷物の詰め込み過ぎによるフェリー沈没事故は、今回が初めてではなく、3年前にも、マリンディ港からすぐの箇所で起きており(6人死亡)、その事故の反省もなく、同じ原因で、さらに大規模な事故が起きてしまったことへのフェリー会社への糾弾と、詰め込み過ぎを知っていて取り締まってこなかった港の責任者や政府にも批判の声が上がっています。
人が死ぬ日というのは、人間の力ではどうにもならないということは、よくわかっているつもりですが、今回の転覆事故の一番の原因が、天災ではなく、乗客と荷物の詰め込み過ぎという、単純で、利益追求の人為的なことだったと知ると、やりきれない思いになります。
しかし、どんなことが起きても、人は、現実の中で、なんとか気持ちを立て直しながら、生きていくしかないですね。
行方不明の方々も含めて犠牲者の冥福を祈り、ニ度とフェリー沈没の事故がおきませんようにと祈りながら過ごしています。
日本では、大震災の余震今でも止まぬ中、先日は大きな台風が日本各地で暴れていったようですが、大丈夫でしたか?皆さん、くれぐれも気をつけてくださいね。
そして、それぞれの場所で、日々、自分にできることをはりきってやりながら過ごしていきましょう。
by 島岡由美子

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