今年一年は異常気象も多く、豪雨や台風の風の被害も大きく、地震も結構数が多かった。
千曲川もあちこちで氾濫し被害も多く出た。幸いにも私個人は被害に遭わず幸運だったけど、被災された方には心からお見舞い申し上げたいと思う。
そんな中、何と言っても新型コロナウィルスは地球規模でどんどん感染者を増やし、今日の東京の感染者はとうとう1300人にもなってしまった。
長野はそれ程感染者は多くは無いが、高齢者や基礎疾患を保有する者は重症化しやすいので十分に気をつける必要がある。
私は新年早々に70歳を迎える。しっかりと持病持ち(高血圧)の高齢者である。
この様な世の中では様々なことに気を付けながら健康第一で過ごして行かなければと思うのだが、、
この一年、通院や検査、リハビリと身体的にも心理的にも大変だった。
思えば去年の年末年始の過ごし方から始まっていたのかも知れないのだ。
去年は仕事が休む暇も無い程にひっきりなしであった。仕事がある事は嬉しいし、お直しにしろ着物のリメイクにしろ喜んで頂けることは有り難く、やりがいのある事だった。
気づけば老体に鞭を打っていたのだろう。
12月のクリスマス頃にやっと仕事を納め、片付け等年末の掃除をしながらも、フィギュアスケートは沢山の試合我あったので夜はテレビやUチューブ等でずーっと追っかけて見続けていた。
それで、目が疲れて肩も凝っていった。
先ず肩が壊れた。
仕事で重いアイロンを持ち上げる。(自分で言うのもなんだけど、私は丁寧で見栄えのする仕立てを心掛けている、それには随所でアイロンをきちんと掛けることが重要と信じている)
掃除や片付けの時には重い生地や着物、帯の入った衣装ケースを移動させなくてはいけない。肩も腰も疲労した。
1月中頃仕事を始めた時に片に痛みを感じ始め、五十肩の診断を受ける。
湿布で何とか押さえ込んでいたがひどく成る一方。
仕事は納期に間に合わせようと無理を通した。
集中力が落ちていたのだろう、本当に珍しくミスを連発した。
自分でもショックだった。謝る!落ち込む!やり直して更に忙しくと負のスパイラルに落ちいて行った。
そして、2月下血があった時のショック!!
その時の事は以前のブログに書いた通りである。
しかし、下血は割とすぐに落ち着き
一過性との診断になった。先ずは一安心したのだが、、
4月末に再度の下血、今度はしっかりと検査をした。
大腸の内視鏡、胃カメラと初めての体験だった。ピロリ菌も退治した。
少し前のブログにも書いた通り、一応落ち着いているのだが、、
肩も腸も胃も全ては加齢が原因とは言われた。
そんなこんなで夏になったが肩の方は一向に良くならず、痛み止めを服用したり、ブロック注射もしたが痛みは酷くなるばかり。仕事を続ければ治るわけ無いよとは言われたが、、
リハビリを始めたのはコロナウィルスの第2波の頃だった。
月に2〜3度マッサージを受け、家では自主トレで頑張った。
仕事はかなり減らすことにし、兎に角肩を治し体調を整える事を優先した。
仕事を減らすことは収入は減ることになる。
でも体の回復が先だと思うことはコロナウィルスとの戦いだって同じこと。
先ずはコロナ撲滅が先と思う。日本の政府はどうなんだ??
この時期、身体は思う様に回復せず、コロナで友人とのランチも出来ず、気分転換のドライブは肩が痛くハンドル操作に自身が持てなくなって止めた。
心身共に疲れて落ち込む事も多くなった時期、兎に角簡単な仕事をして手を動かして居ようと考えた。
アイロンはとても軽い物に替えて(おもちゃみたいに軽くて笑っちゃうくらい)小物作りを中心にした。
兎に角マスクを作りまくった。生地はいくらでもあった。ゴムと合わせるガーゼが無くて苦労したが、当時マスク不足で大変だったのでとても重宝がられたり、洋品店からの注文も入り久しぶりに気持ちが高揚して行った。
気が付けば秋になり、肩の痛みも少しづつ回復の兆しで夜も寝られる様になってきたのである。
そんな時、ミスをして信頼を無くしてしまったと思っていた方達から連絡が入り、「体調が良くなったら無理のない範囲でお願いしたい」との話を頂いた。
とても嬉しく有難かった。
もう無理の出来ない年齢になった事をしっかりと認識して、身体の声も聞きながらできる範囲で頑張ろうと思った年の瀬だったのである。
さて、来年はこのコロナ禍でどの様な時代になるのか?
心配な事は有るけれど、人間の希望に向かう力を信じてゆっくりでもしっかりと歩いて行こうと思っている。
来年もどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m