2017/6/11  零戦再考。  永遠の翼

随分前のハナシになっちゃいましたが、6月3日と4日に開催された「レッドブル・エアレース2017」に於いて、民間の日本人が所有する零戦がデモ飛行を行った事が報じられました。

戦後70年を機に「風立ちぬ」や「永遠の0」などで再び世の中から振り向かれる事となった「零戦」。とっくの昔の小学生から恋人のように零戦の虜となってしまっている私にとって、実に喜ばしい事のはずなのですが、どうも心の底から素直に喜ぶ事が出来ません。

むしろ、何か気味の悪い…と言うか、うすら寒いものを感じてしまいます。

戦後10年ほどしてやって来た「零戦ブーム」。それは、少年雑誌などを中心に「ヒーロー」として零戦を扱った事から始まります。緒戦期に欧米列強の戦闘機と渡り合い、無敵の強さを誇った零戦は、世界最大を誇った戦艦大和、武蔵と並んで、敗戦で自信と誇りを失った日本人にとって、まさに「ヒーロー」でした。

ワイルドキャットやスピットファイアに比べてここが優れているとか、どっちが強い?とか、どんな戦法を持っていたか?とか、撃墜王は何機敵機を落したのか…等々そんな記事や「0戦はやと」などの戦記物マンガが文字通り「乱舞」していたあの頃、日本人は歯を食いしばってどん底から這い上がろうと必死でもがいておりました。

「日本人でもやればあれだけの事が出来たんだ!」…その自信や自負が、今の豊かな社会を築き上げる原動力の一つとなったのです。

そして、戦争を知らずに育った子供たちはそう言ったものに触れつつも、戦地や銃後で地獄を見た親たちや、様々な所に残る戦争の傷跡を目の当たりにしながら「戦争のなんたるか」を学んで行ったのです。
私自身もその流れの中で戦後生まれの父の影響を受け、零戦や海軍への憧れを強くしつつ、様々な戦記を読んで戦争の負の部分にも触れてきたつもりです。

しかし、昨今の零戦や帝国陸海軍にまつわるネット上の反応を見ていると、かつての「零戦ブーム」「戦記物ブーム」と異なる、何かとてつもない不安なものを強く感じてしまうのです。


「世界最強の零戦!」「実は精強だった大日本帝国軍!」「海外から見た帝国陸海軍がハンパない!!」…と言った感じの言葉が乱舞する軍事、戦記関連の記事たち。そしてそれらに反応する投稿の内容が、あまりに幼稚な事…中学高校の頃「軍事オタク」でならした私ですら、ゲンナリしてしまいます。

まぁ、最近テレビでも「海外から見たニッポンってすげー!」みたいな番組多い気がして、こっちも「今更かよ…」とゲンナリですけど(笑)。

ネットで都合の良い情報しか集め無い事、最近流行りの「ムック本」でビジュアルしか見ていない事など原因は様々ですが、やはり「あの頃」を知る人々の生の声、すなわち実際に戦場で戦った人々の声が「枯渇」しつつある事が大きな原因なのでしょう。

例えば、あの飛行ショーの会場の観客の中に、元零戦搭乗員だった方はどのくらいいらしたのでしょうか?

歳月を重ね、零戦だけが年を取らないかの如く空を舞い、当時その操縦桿を握って空を飛び、あの戦争生き残った方々の多くは鬼籍に入られておられる。そこには零戦の「悲しみ」や「苦悩」…つまり、戦場の記憶はありません。

ビジュアルだけが先行し、「カッコイイ零戦」「美しい零戦」の言葉が飛び交い、兵器としての欠陥や特攻に至るまでの経緯は知識自慢に留まり、何故そんな事になったかを分析する声があまりに少ない。そして決まって「英霊に敬礼!」みたいな言葉で締めくくられてしまう。

そんなので零戦の何が解るんだ!?

遺書に遺された「大日本帝国万歳」や「天皇陛下万歳」などの言葉の影に忍ばせた想いが分からないようでは、「英霊」の意味なんて到底解らないと思います。

かつて私は、ある航空評論家の方が大嫌いでした。日本機関連の執筆が多いくせに、あまつさえ「零戦には人一倍愛着がある」と書いているくせに、零戦や疾風、紫電改などをことごとくこき下ろす様な物言いがとても嫌だったのです。

また、堀越二郎技師の補佐を務めていた曽根嘉年技師の零戦に対する見解も、あまりに冷淡であり「そんなにこき下ろす様な欠陥戦闘機作ったのは誰だよ!」と憤りを感じた事もあります。

しかし、今なら彼らの言いたかった事がよく分かります。あの時代の工業力、戦況、作戦などすべてを冷静に見極めた時、もっとまともな開発計画、運用方法があったはずだ。その一点を見るだけで優秀だった、名機だったと褒めそやすのは間違いだ…と言う事なのでしょう。

年齢を重ねた結果なのかもしれませんが、「世界最強」とか「傑作機」などと言った「光」の部分よりも、むしろその「影」の部分も含めて「日本のモノづくり」、ひいては日本と言う国や日本人そのものを体現しているのが零戦なのだと改めて思います。

今も昔も日本人は何か成功すると、必ず有頂天になってアッサリ足元すくわれて失敗しますから(笑)。今現在だってきっとそう。

このブログでも私は時々書きますが、戦争を含め、物事は様々な視点から見なくてはならないし、どっちか一方に偏って先鋭化してはいけないと思います。ムック本や永遠の0だけじゃなくて、本物の戦記や手記に触れて、目を背けたくなるような部分にもキチンと向き合うべきだと思います。

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ちなみに私のお気に入りの零戦は、「最強」の二一型ではなくて、五二型です。

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タグ: 日本海軍 零戦

2017/1/28  成層圏とマッハの夢。〜F-104J「栄光」〜  永遠の翼

小春日和の青空が眩しい青森県立三沢航空科学館。その本館の前には、退役した自衛隊や米軍の航空機たちが翼を連ね、地上展示機として余生を送っている。

彼らは、隣接する三沢空港に離発着する自らの後輩や仲間たちを見守りつつ来館者を出迎え、自らの生涯や思い出を静かに語り続けている。

そのなかに彼は佇んでいた。

…彼の名は、F-104J「栄光」。

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「栄光」とは、かつて自衛隊が一般公募から決定したと言う愛称であり、機体を開発した米国ロッキード社は「スターファイター」と名付けた。

もっとも大抵の隊員たちからは、その形式名から「マルヨン」または「イチマルヨン」と呼ばれ、更には機体製造元の三菱とその容姿をもじった「三菱鉛筆」なる渾名まであったと言う。

ともあれ、我が国がまだ様々な夢を見る事が出来たあの時代…航空自衛隊も訓練や整備が行き届いてようやく創設期を脱し、領空侵犯やスクランブル発進と言ったきな臭い話もそれ程なく、かの「ブルーインパルス」も、東京上空に五輪マークを描く訓練に明け暮れていた…そんな時代に導入され、究極の性能を追求したこの超音速機には、「栄光」の名もまた良く似合う。

その「栄光」ことマルヨン、ここの展示機は、なんと操縦席に実際に搭乗する事が可能である。まったくいい歳をして恥ずかしいのだが、やはりヒコーキの操縦席、とりわけ戦闘機のそれは、「マニヤ」たる私にとって憧れの空間である。大好きな零戦は無理としても、「昭和の香り」がする超音速機の操縦席と聞けば、やはりワクワクしてしまうのである。
しかし、更に恥ずかしい事に私は高いところが苦手な上、旅客機ですら搭乗の経験が無い。まったく私にとって大空と言うものは、常に下から見上げて夢を描き立てる存在なのである。

そんな私でも、このマルヨンの操縦席に座ってみたら、微かではあっても大空を身近に感じられるかもしれない…と、つい大げさな事を考えてしまい、居ても立ってもいられなくなって、愛車スバル・レガシィを駆って八戸道を北上したと言う訳である。

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心を躍らせつつ現地に到着し、愛車をわざわざ彼ら展示機の列線の前につけ、まずは外側から眺めて歩く。やはり…と言うべきか、小型軽量を追求したとはいえども、この超音速機はかなり大きく感じる。

だが、強力で大型のジェットエンジンに、申し訳程度の小さな主翼を付け、音速の二倍もの速度を発揮する機体は、当時我が国でも「最後の有人戦闘機」とまで喧伝されただけの事はあり、その後のジェット戦闘機と比べても目的が研ぎ澄まされており、極めて潔くて美しい。

研ぎ澄まされる、と言えば、「ウッカリ触れると怪我をする…」とか「野菜も切れる」とまで言われた、極めて薄くて小さな主翼。その前縁は刃物と見まがうばかりに鋭く、揚力をを掴むと言うより空気を切り裂くと言う印象を受け、面積の小ささと相まってその操縦が容易ならざる事を覗わせる。

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当時F-86F「旭光」から乗り換えたパイロットたちも、その尋常ではない佇まいに、少なからぬ衝撃を覚えたに違いない。

そうした高性能を誇示するかのごとく、マルヨンは主翼の上面が白く塗られ、国籍標識の日の丸がよく映える。その為、上から見ると鉛筆の両脇に小さな日の丸の旗をつけた様にも見えるのだ。

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まさに鉛筆のように尖った機首から、カッターのように鋭利で小さな主翼、大型のT型尾翼と大きな噴射口…殊にエア・インテークから続く大きなジェットエンジンを包み込む曲面の造形やそれと全く対照的な直線で構成された翼の平面形は、彼が設計された1950年代のSF映画などに登場する宇宙船を思わせるスタイルであり、まさに「スターファイター(宇宙戦闘機)」そのものである。

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これこそ、当時の超音速機の究極を表現した、一つのカタチと言っても良い。

ひとしきりそのデザインを眺めた後、いよいよ操縦席に乗り込むことにする。せっかくなので搭乗する私の姿を持参したカメラに収めてもらうべく、クルマにて邪魔にならぬよう待機していると言う係員の方に声を掛ける。

私より年配の方である彼は、いい歳して子供っぽい事を言う私に、ややうんざりするような表情を見せつつも、操縦席に座りこんで満面の得意顔をする私にカメラを向けシャッターを数回切ってくれて、風防も閉めて見せてくれた。

「全く、困った父っちゃん坊やだ…」彼はそう思ったに違いない。

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戦闘機の操縦席と言うものは、空戦性能の為に無駄な空間を切り詰めるから大抵狭い。いい歳をして、いい体格もしているこの「父っちゃん坊や」が、そんな戦闘機の狭い操縦席に入れるのか…それは全くの杞憂であった。よくよく考えてみれば、如何に高性能を追求した戦闘機とは言え、元々が米空軍機。大柄な欧米人、しかも様々な装備を身につけての搭乗を想定した設計となるはずであり、風防を閉めた状態でも確かに狭いがきちんと座れるし、思ったよりは窮屈な感じはない。

しかし、この狭い操縦席の後ろには巨大なジェットエンジンがいて、この機体を最大速度がマッハ2を軽く越える世界へと誘う事を思うと、確かに身震いする気がする。

実際F-104は事故も多く、我が国でも民家に墜落して犠牲者を出し、猛烈な批判にさらされたり、大量に配備した西独空軍に到っては装備機数の実に3分の1近くが事故で失われ、「未亡人製造機」などとまで呼ばれた悲しい事実もある。それだけ操縦の難しいデリケートな機体だったのだ。

最後の有人戦闘機」と言う言葉は伊達ではない…風防を閉め、右側にあるロックレバーを「ガチャン!」と回して密閉した空間の中で、私は思った。

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密閉された操縦席の空間をもっと楽しんでいたかったが、小春日和とは言えまだ寒い一月の三沢。係員氏をこれ以上寒空に待たせるのもさすがに気が咎める。やや後ろ髪を引かれる思いで風防を開けてもらう。

ロックを解除して持ち上げた風防は意外に重い。「そりゃ、本物ですから…」と係員氏。そう、この風防に与圧をかけた状態により、パイロットは高度6万フィート(約18000メートル)以上上空の薄い空気や気圧、猛烈な低温から守られているのだ。言うなればこれは宇宙船の出入り口ハッチだ。重くてゴツイのは当然である。映画などで皆「ヒョイ!」とばかりに持ち上げていたので、少々面食らった次第である。

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子供っぽい私のワガママに付き合って頂き、色々教えてくれた御礼を述べて、またクルマに戻って頂く事にする。

こうして、寒空の下で二人きりとなった、マルヨンと私。意外にも連休と言うのに周囲には殆ど誰もいない。…そうだな、そう言う事なら遠慮はいらない。もう少しここにいよう。今日のキミは私の愛機だ。一緒にこの空を飛んで、成層圏やマッハの夢を魅せてくれ…。

持参した海軍の航空手袋を両手にはめる。かつて演劇の小道具として入手したものだが、複製品ゆえに彼はパントマイムの零戦の操縦桿しか握った事が無い。せっかくだから本物、それもマッハ2を発揮した日の丸戦闘機の操縦桿を握らせてあげよう…そう思ってはるばる連れてきたのである。

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正面の計器盤に並ぶ高度計や速度計、人工水平儀、旋回計、方位計…程度はそれなりではあるが、幸いにして計器類やスイッチパネルは殆ど原形をとどめており、大空への夢を描き立ててくれるのに充分なアイテムが揃っている。

その反面、操縦桿やフットバー、スロットルレバーはそれぞれ動くが、リンケージが外れているらしく、各舵の操作は出来ない。係員氏によれば、数年前まではフットバーで方向舵をかろうじて動かす事が出来た…と言う。コンピュータ制御など無かったあの頃、油圧の倍力装置を介していたとは言え、パイロットはその熟練の腕だけで、この剃刀のようにデリケートなマッハ2の戦闘機を御していたのである。

右手は操縦桿、左手はスロットルレバー、そして両足はフットバーを踏みしめ、空を飛んでいた頃の彼らの手応えを思い描いてみる。

逸る心をスターターとして、計器盤左にあるエンジンスイッチを入れる。時折外を吹く風の音は、大きなジェットエンジンがけたたましい音を上げて目覚める音に変わっていく…

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「…さぁ、行くよ!!」

スロットルレバーをジワリと開き、ブレーキを兼ねたフットバーのペダルを緩める…これで機は滑走を始めるはずだ。

スロットルを上げて全開にして加速、風防の外の風景があっという間にどんどん後ろへ飛び去って行く。アフターバーナー点火!操縦桿をゆっくり手前に引く。急激に引くと失速して墜落する。あくまで機体が揚力を掴んでスピードに乗るまで慎重に…ただでさえジェット機、とりわけマルヨンはデリケートな飛行機だから。

轟音を響かせながら、マルヨンは地球から離れていく…

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抵抗となる脚は、離陸後すぐに折りたたむ。これでマルヨンは本来の「超音速鉛筆」の姿となる。

昇降舵による上昇と降下、補助翼による横方向の動きのそれぞれをつかさどる操縦桿、尾翼の方向舵を操作するフットバー、これらの操作は、ちょっとでも粗い操作をしようものなら大きなミスや事故につながるのだろう。昔ほんの少しだけ「かじった」ラジコン飛行機もそうだった。スティックはゆっくり慎重に操作すること…速ければ速いだけ、操縦装置の操作には慎重を要するのだ。

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「キィィィゥオオオォォォン…」

独特の甲高い爆音を残し、高速道路のランプウェイをスルスルと昇って加速して行くように、否、それ以上のハイスピードと角度でみるみる大空に駆け上がる我が「愛機」マルヨン。

各舵に触れる空気の重さを腕にイメージしながら操縦桿を小さく傾け、フットバーを蹴り、大きな弧を描いて旋回する。

操縦桿を横に傾けると、機は胴体中心線を軸に横転を始め、天地が入れ替わる。人工水平儀もチェックしつつ水平に戻ったところで、今度は操縦桿を手前に引いてみる。ジェットコースターのように縦方向に目まぐるしく入れ替わる青空と大地。

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「ゴォォォォォォ…」

大きな真円の弧を描いて宙返り。それはまるで天空のコンパスだ。何の制限もない空想の空を、思い当たる機動で縦横無尽に飛び回る。

いいぞ!その調子だ…真っ青なキャンバスに、飛行機雲の色鉛筆で様々な放物線が次々と描かれていく。

マルヨンは、その小さな主翼のイメージから、小回りが利かず横方向の機動は苦手であるように見受けられる。所謂「直線番長」と言う奴だが、その分スピードと加速は申し分ない。アフターバーナーをぶっ放せば、ソニックブームの轟音と共にあっさり音速を超え、マッハ2のスピードをいとも簡単に叩きだす。

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「ズドドォォォォォォン!!!」

機体の傍らにある説明板にも、約50年前の航空イベントにて東京〜大阪間を何と10分21秒で飛んだ…とわざわざ書いてある。それだけこのマルヨンのスピードが当時としては驚異的だった、と言う事なのだ。

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その「直線番長」が猛スピードで垂直上昇する姿は、思わず奇声を上げてしまうくらい爽快そのもの。かつて三島由紀夫もマルヨンに搭乗し、その体験と感動を短篇小説に綴ったと言う。さぞ爽快で様々なイマジネーションを描き立てられた事であろう。そんな能天気な姿を想像しながら、スロットルレバーをグゥっと押し込んで、操縦桿をジワリと引く。

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「バキョオオオォォォン!!…」

白銀に輝く我が「三菱鉛筆」はペン先を天空に向け、宇宙を目指す矢のごとく一直線に上昇していく。

行け!行け!行け!胸の高鳴りと共に、もっと、もっと高くへ…

その姿はまさに、銀河を駆ける「スターファイター」。

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「高度4万…4万5千…5万…」

目まぐるしく回転を続ける高度計の指針、胸の高鳴りと連動するように咆哮するジェット、薄くなる酸素と反比例するように深みを増す青い空…その先には、人間の感情や存在を超越し、何もかもが透きとおった壮大な空間が待っているに違いない…何もかもがどこまでも透きとおった碧い世界を瞼の裏に思い描きながら、操縦桿とスロットルレバーを握りしめる。

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「キィィィィィィン……」

実用上昇限度の高度6万フィート…背中に響くジェットの雄叫びに身も心も委ね、宇宙と地球のはざまを突き進む姿を思い描く…振り返れば地上は一枚の大きな航空写真となり、視界の両端には、それぞれ太平洋と日本海が見える。太陽の光を受けた海面は一面キラキラと輝き、小さな雲たちが影を映しながらポツポツとあちこちに点在する。小さな島国とはよく言うが、眼下に広がる緑の山河は何と大きな事だろう…。

…さぁ、そろそろ地上に戻ろう。成層圏に別れを告げ、機は横滑りしながら徐々に高度を下げ、地球を目指す。

滑走路が見えてきた。フラップを下げ、失速に注意しながら旋回し、滑走路のど真ん中へ機を持って行く。脚を出し、心持ち操縦桿をわずかに引いて機首を上げ、減速しつつ車輪を滑走路に近づけていく。
やがて機は「ドンッ」と言う軽い衝撃と共に地上に舞い降り、ドラッグシュートと言う落下傘のような傘を「バッ」と開いて減速する。それはまるでスペースシャトルの帰還のようだ。

誘導路を自走して駐機位置に戻り、エンジンスイッチを切る…程なくしてジェットエンジンの高周波音は、再び風の音に戻った。

追い討ちをかけるように、科学館からは正午を伝えるチャイムが響き、ジェットパイロットは、再び父っちゃん坊やに戻った。

「ありがとう。また会いに来るよ…。」航空手袋をはめたままの手で、その流麗且つ意外にゴツい風防をそっと撫で、マルヨンに別れを告げる。

会える内に、形が残っている内に、またこうして会いに行こう…仕方の無い事ではあるが、彼ら地上展示機たちは紫外線や風雨などにさらされる為、塗装などの劣化は避けられず、残された時間はどうしても限られてしまうのだ。

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航空科学館内に並んでいる彼らの先輩たちとの時間をじっくり味わった午後、そろそろ帰ろうと思いつつ、それでも名残惜しくなって再び戻ると、夕焼けがマルヨンたちをやさしく彩っていた。

夕焼けにまばゆく輝く飛行機たち…それは、恋を覚え始めた少年の頃、燃ゆる恋心を夕焼け空にかざした模型の零戦に忍ばせ、静かに胸を焦がしていた不器用なあの頃を思い出させてくれる。

「みんな、またな…」

琥珀色に輝く彼らに見送られながら、いつかの再会を楽しみにしつつ、私は愛車のステアリングを握った…



…と、まぁ、操縦はおろか、ヒコーキに乗って空も飛んだ事すら無い人間が、F-104J「栄光」の操縦席に初めて乗った感動を基に、妄想の限界に挑んで描いてみました。

実機の操作はそーじゃない!とか、実際はそんなもんじゃない!!言うご意見やお叱りもおありでしょうが、あくまでイメージ優先ですので何卒ご容赦のほどを…(笑)。

あ、それから、文中に出てくる「キィィィン」とか言う擬音はあくまで文中の効果音です。間違ってもコクピットの中で独りで呟いたりしてませんからね(爆)。一応、念のため(笑)。

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楽しかったよ。また一緒に飛ぼうな、マルヨン…。

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2017/1/10  酉年と機械の鳥。  日常の断片

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平成29年も明けて、早くも10日。当ブログにお越しいただく方もそう多くない…といつも書いてはおりますが、それでも改めてこの場で新年のご挨拶をさせて頂きます。

管理人の私は…と言えば、年末にインフルエンザを発症してしまった為に実家で御馳走にもありつけず、初詣も3日になってようやく…と言った感じのな〜んとなくのんびりだらだらとしたお正月でした。
おかげでまぁ、その分日数以上に長い気がして得したのか損したのかよく分かりません(笑)。

今年は酉年。だからって訳ではありませんが、日程に余裕があったので、「鶏」とか「鳥」でなく機械の鳥!?を見に行こうと思い立ち、青森県立三沢航空科学館に行ってみました。

ここには日本航空協会が「重要航空遺産」と認定した陸軍一式双発高等練習機や、YS-11旅客機の実機、青森県や三沢市に縁がある「航研機」や「ミス・ビードル号」などの実物大レプリカ、退役した自衛隊機などの屋外展示等々、飛行機マニアなら丸1日楽しめるアイテム満載の施設です。

見に行こう…と思い立った理由の一つが、ここに屋外展示されているF-104J「栄光」。インフル罹っている間に久々にDVDで観た東宝映画「今日もわれ大空にあり」に改めて仄々として感動してしまい、主役のF-86F「旭光」と当時の最新鋭機であるF-104Jにも改めて惚れ直してしまったのです(笑)。

しかも調べてみたら、なんと三沢のF-104Jは操縦席に体験搭乗出来る!!もーこーなったら見て乗って触るっきゃない!!!(笑)

と言う訳で、「今日も…」の劇中で歌われる「大空の歌」が頭を駆け巡る中、一路北上して向かった絶好のヒコーキ日和の三沢航空科学館。

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地上展示の退役機とは言え、生涯初めてとなる戦闘機の操縦席の座り心地は如何に!?


次回に続く(…と、良いな 笑)
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