2017/1/28  成層圏とマッハの夢。〜F-104J「栄光」〜  永遠の翼

小春日和の青空が眩しい青森県立三沢航空科学館。その本館の前には、退役した自衛隊や米軍の航空機たちが翼を連ね、地上展示機として余生を送っている。

彼らは、隣接する三沢空港に離発着する自らの後輩や仲間たちを見守りつつ来館者を出迎え、自らの生涯や思い出を静かに語り続けている。

そのなかに彼は佇んでいた。

…彼の名は、F-104J「栄光」。

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「栄光」とは、かつて自衛隊が一般公募から決定したと言う愛称であり、機体を開発した米国ロッキード社は「スターファイター」と名付けた。

もっとも大抵の隊員たちからは、その形式名から「マルヨン」または「イチマルヨン」と呼ばれ、更には機体製造元の三菱とその容姿をもじった「三菱鉛筆」なる渾名まであったと言う。

ともあれ、我が国がまだ様々な夢を見る事が出来たあの時代…航空自衛隊も訓練や整備が行き届いてようやく創設期を脱し、領空侵犯やスクランブル発進と言ったきな臭い話もそれ程なく、かの「ブルーインパルス」も、東京上空に五輪マークを描く訓練に明け暮れていた…そんな時代に導入され、究極の性能を追求したこの超音速機には、「栄光」の名もまた良く似合う。

その「栄光」ことマルヨン、ここの展示機は、なんと操縦席に実際に搭乗する事が可能である。まったくいい歳をして恥ずかしいのだが、やはりヒコーキの操縦席、とりわけ戦闘機のそれは、「マニヤ」たる私にとって憧れの空間である。大好きな零戦は無理としても、「昭和の香り」がする超音速機の操縦席と聞けば、やはりワクワクしてしまうのである。
しかし、更に恥ずかしい事に私は高いところが苦手な上、旅客機ですら搭乗の経験が無い。まったく私にとって大空と言うものは、常に下から見上げて夢を描き立てる存在なのである。

そんな私でも、このマルヨンの操縦席に座ってみたら、微かではあっても大空を身近に感じられるかもしれない…と、つい大げさな事を考えてしまい、居ても立ってもいられなくなって、愛車スバル・レガシィを駆って八戸道を北上したと言う訳である。

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心を躍らせつつ現地に到着し、愛車をわざわざ彼ら展示機の列線の前につけ、まずは外側から眺めて歩く。やはり…と言うべきか、小型軽量を追求したとはいえども、この超音速機はかなり大きく感じる。

だが、強力で大型のジェットエンジンに、申し訳程度の小さな主翼を付け、音速の二倍もの速度を発揮する機体は、当時我が国でも「最後の有人戦闘機」とまで喧伝されただけの事はあり、その後のジェット戦闘機と比べても目的が研ぎ澄まされており、極めて潔くて美しい。

研ぎ澄まされる、と言えば、「ウッカリ触れると怪我をする…」とか「野菜も切れる」とまで言われた、極めて薄くて小さな主翼。その前縁は刃物と見まがうばかりに鋭く、揚力をを掴むと言うより空気を切り裂くと言う印象を受け、面積の小ささと相まってその操縦が容易ならざる事を覗わせる。

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当時F-86F「旭光」から乗り換えたパイロットたちも、その尋常ではない佇まいに、少なからぬ衝撃を覚えたに違いない。

そうした高性能を誇示するかのごとく、マルヨンは主翼の上面が白く塗られ、国籍標識の日の丸がよく映える。その為、上から見ると鉛筆の両脇に小さな日の丸の旗をつけた様にも見えるのだ。

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まさに鉛筆のように尖った機首から、カッターのように鋭利で小さな主翼、大型のT型尾翼と大きな噴射口…殊にエア・インテークから続く大きなジェットエンジンを包み込む曲面の造形やそれと全く対照的な直線で構成された翼の平面形は、彼が設計された1950年代のSF映画などに登場する宇宙船を思わせるスタイルであり、まさに「スターファイター(宇宙戦闘機)」そのものである。

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これこそ、当時の超音速機の究極を表現した、一つのカタチと言っても良い。

ひとしきりそのデザインを眺めた後、いよいよ操縦席に乗り込むことにする。せっかくなので搭乗する私の姿を持参したカメラに収めてもらうべく、クルマにて邪魔にならぬよう待機していると言う係員の方に声を掛ける。

私より年配の方である彼は、いい歳して子供っぽい事を言う私に、ややうんざりするような表情を見せつつも、操縦席に座りこんで満面の得意顔をする私にカメラを向けシャッターを数回切ってくれて、風防も閉めて見せてくれた。

「全く、困った父っちゃん坊やだ…」彼はそう思ったに違いない。

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戦闘機の操縦席と言うものは、空戦性能の為に無駄な空間を切り詰めるから大抵狭い。いい歳をして、いい体格もしているこの「父っちゃん坊や」が、そんな戦闘機の狭い操縦席に入れるのか…それは全くの杞憂であった。よくよく考えてみれば、如何に高性能を追求した戦闘機とは言え、元々が米空軍機。大柄な欧米人、しかも様々な装備を身につけての搭乗を想定した設計となるはずであり、風防を閉めた状態でも確かに狭いがきちんと座れるし、思ったよりは窮屈な感じはない。

しかし、この狭い操縦席の後ろには巨大なジェットエンジンがいて、この機体を最大速度がマッハ2を軽く越える世界へと誘う事を思うと、確かに身震いする気がする。

実際F-104は事故も多く、我が国でも民家に墜落して犠牲者を出し、猛烈な批判にさらされたり、大量に配備した西独空軍に到っては装備機数の実に3分の1近くが事故で失われ、「未亡人製造機」などとまで呼ばれた悲しい事実もある。それだけ操縦の難しいデリケートな機体だったのだ。

最後の有人戦闘機」と言う言葉は伊達ではない…風防を閉め、右側にあるロックレバーを「ガチャン!」と回して密閉した空間の中で、私は思った。

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密閉された操縦席の空間をもっと楽しんでいたかったが、小春日和とは言えまだ寒い一月の三沢。係員氏をこれ以上寒空に待たせるのもさすがに気が咎める。やや後ろ髪を引かれる思いで風防を開けてもらう。

ロックを解除して持ち上げた風防は意外に重い。「そりゃ、本物ですから…」と係員氏。そう、この風防に与圧をかけた状態により、パイロットは高度6万フィート(約18000メートル)以上上空の薄い空気や気圧、猛烈な低温から守られているのだ。言うなればこれは宇宙船の出入り口ハッチだ。重くてゴツイのは当然である。映画などで皆「ヒョイ!」とばかりに持ち上げていたので、少々面食らった次第である。

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子供っぽい私のワガママに付き合って頂き、色々教えてくれた御礼を述べて、またクルマに戻って頂く事にする。

こうして、寒空の下で二人きりとなった、マルヨンと私。意外にも連休と言うのに周囲には殆ど誰もいない。…そうだな、そう言う事なら遠慮はいらない。もう少しここにいよう。今日のキミは私の愛機だ。一緒にこの空を飛んで、成層圏やマッハの夢を魅せてくれ…。

持参した海軍の航空手袋を両手にはめる。かつて演劇の小道具として入手したものだが、複製品ゆえに彼はパントマイムの零戦の操縦桿しか握った事が無い。せっかくだから本物、それもマッハ2を発揮した日の丸戦闘機の操縦桿を握らせてあげよう…そう思ってはるばる連れてきたのである。

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正面の計器盤に並ぶ高度計や速度計、人工水平儀、旋回計、方位計…程度はそれなりではあるが、幸いにして計器類やスイッチパネルは殆ど原形をとどめており、大空への夢を描き立ててくれるのに充分なアイテムが揃っている。

その反面、操縦桿やフットバー、スロットルレバーはそれぞれ動くが、リンケージが外れているらしく、各舵の操作は出来ない。係員氏によれば、数年前まではフットバーで方向舵をかろうじて動かす事が出来た…と言う。コンピュータ制御など無かったあの頃、油圧の倍力装置を介していたとは言え、パイロットはその熟練の腕だけで、この剃刀のようにデリケートなマッハ2の戦闘機を御していたのである。

右手は操縦桿、左手はスロットルレバー、そして両足はフットバーを踏みしめ、空を飛んでいた頃の彼らの手応えを思い描いてみる。

逸る心をスターターとして、計器盤左にあるエンジンスイッチを入れる。時折外を吹く風の音は、大きなジェットエンジンがけたたましい音を上げて目覚める音に変わっていく…

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「…さぁ、行くよ!!」

スロットルレバーをジワリと開き、ブレーキを兼ねたフットバーのペダルを緩める…これで機は滑走を始めるはずだ。

スロットルを上げて全開にして加速、風防の外の風景があっという間にどんどん後ろへ飛び去って行く。アフターバーナー点火!操縦桿をゆっくり手前に引く。急激に引くと失速して墜落する。あくまで機体が揚力を掴んでスピードに乗るまで慎重に…ただでさえジェット機、とりわけマルヨンはデリケートな飛行機だから。

轟音を響かせながら、マルヨンは地球から離れていく…

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抵抗となる脚は、離陸後すぐに折りたたむ。これでマルヨンは本来の「超音速鉛筆」の姿となる。

昇降舵による上昇と降下、補助翼による横方向の動きのそれぞれをつかさどる操縦桿、尾翼の方向舵を操作するフットバー、これらの操作は、ちょっとでも粗い操作をしようものなら大きなミスや事故につながるのだろう。昔ほんの少しだけ「かじった」ラジコン飛行機もそうだった。スティックはゆっくり慎重に操作すること…速ければ速いだけ、操縦装置の操作には慎重を要するのだ。

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「キィィィゥオオオォォォン…」

独特の甲高い爆音を残し、高速道路のランプウェイをスルスルと昇って加速して行くように、否、それ以上のハイスピードと角度でみるみる大空に駆け上がる我が「愛機」マルヨン。

各舵に触れる空気の重さを腕にイメージしながら操縦桿を小さく傾け、フットバーを蹴り、大きな弧を描いて旋回する。

操縦桿を横に傾けると、機は胴体中心線を軸に横転を始め、天地が入れ替わる。人工水平儀もチェックしつつ水平に戻ったところで、今度は操縦桿を手前に引いてみる。ジェットコースターのように縦方向に目まぐるしく入れ替わる青空と大地。

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「ゴォォォォォォ…」

大きな真円の弧を描いて宙返り。それはまるで天空のコンパスだ。何の制限もない空想の空を、思い当たる機動で縦横無尽に飛び回る。

いいぞ!その調子だ…真っ青なキャンバスに、飛行機雲の色鉛筆で様々な放物線が次々と描かれていく。

マルヨンは、その小さな主翼のイメージから、小回りが利かず横方向の機動は苦手であるように見受けられる。所謂「直線番長」と言う奴だが、その分スピードと加速は申し分ない。アフターバーナーをぶっ放せば、ソニックブームの轟音と共にあっさり音速を超え、マッハ2のスピードをいとも簡単に叩きだす。

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「ズドドォォォォォォン!!!」

機体の傍らにある説明板にも、約50年前の航空イベントにて東京〜大阪間を何と10分21秒で飛んだ…とわざわざ書いてある。それだけこのマルヨンのスピードが当時としては驚異的だった、と言う事なのだ。

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その「直線番長」が猛スピードで垂直上昇する姿は、思わず奇声を上げてしまうくらい爽快そのもの。かつて三島由紀夫もマルヨンに搭乗し、その体験と感動を短篇小説に綴ったと言う。さぞ爽快で様々なイマジネーションを描き立てられた事であろう。そんな能天気な姿を想像しながら、スロットルレバーをグゥっと押し込んで、操縦桿をジワリと引く。

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「バキョオオオォォォン!!…」

白銀に輝く我が「三菱鉛筆」はペン先を天空に向け、宇宙を目指す矢のごとく一直線に上昇していく。

行け!行け!行け!胸の高鳴りと共に、もっと、もっと高くへ…

その姿はまさに、銀河を駆ける「スターファイター」。

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「高度4万…4万5千…5万…」

目まぐるしく回転を続ける高度計の指針、胸の高鳴りと連動するように咆哮するジェット、薄くなる酸素と反比例するように深みを増す青い空…その先には、人間の感情や存在を超越し、何もかもが透きとおった壮大な空間が待っているに違いない…何もかもがどこまでも透きとおった碧い世界を瞼の裏に思い描きながら、操縦桿とスロットルレバーを握りしめる。

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「キィィィィィィン……」

実用上昇限度の高度6万フィート…背中に響くジェットの雄叫びに身も心も委ね、宇宙と地球のはざまを突き進む姿を思い描く…振り返れば地上は一枚の大きな航空写真となり、視界の両端には、それぞれ太平洋と日本海が見える。太陽の光を受けた海面は一面キラキラと輝き、小さな雲たちが影を映しながらポツポツとあちこちに点在する。小さな島国とはよく言うが、眼下に広がる緑の山河は何と大きな事だろう…。

…さぁ、そろそろ地上に戻ろう。成層圏に別れを告げ、機は横滑りしながら徐々に高度を下げ、地球を目指す。

滑走路が見えてきた。フラップを下げ、失速に注意しながら旋回し、滑走路のど真ん中へ機を持って行く。脚を出し、心持ち操縦桿をわずかに引いて機首を上げ、減速しつつ車輪を滑走路に近づけていく。
やがて機は「ドンッ」と言う軽い衝撃と共に地上に舞い降り、ドラッグシュートと言う落下傘のような傘を「バッ」と開いて減速する。それはまるでスペースシャトルの帰還のようだ。

誘導路を自走して駐機位置に戻り、エンジンスイッチを切る…程なくしてジェットエンジンの高周波音は、再び風の音に戻った。

追い討ちをかけるように、科学館からは正午を伝えるチャイムが響き、ジェットパイロットは、再び父っちゃん坊やに戻った。

「ありがとう。また会いに来るよ…。」航空手袋をはめたままの手で、その流麗且つ意外にゴツい風防をそっと撫で、マルヨンに別れを告げる。

会える内に、形が残っている内に、またこうして会いに行こう…仕方の無い事ではあるが、彼ら地上展示機たちは紫外線や風雨などにさらされる為、塗装などの劣化は避けられず、残された時間はどうしても限られてしまうのだ。

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航空科学館内に並んでいる彼らの先輩たちとの時間をじっくり味わった午後、そろそろ帰ろうと思いつつ、それでも名残惜しくなって再び戻ると、夕焼けがマルヨンたちをやさしく彩っていた。

夕焼けにまばゆく輝く飛行機たち…それは、恋を覚え始めた少年の頃、燃ゆる恋心を夕焼け空にかざした模型の零戦に忍ばせ、静かに胸を焦がしていた不器用なあの頃を思い出させてくれる。

「みんな、またな…」

琥珀色に輝く彼らに見送られながら、いつかの再会を楽しみにしつつ、私は愛車のステアリングを握った…



…と、まぁ、操縦はおろか、ヒコーキに乗って空も飛んだ事すら無い人間が、F-104J「栄光」の操縦席に初めて乗った感動を基に、妄想の限界に挑んで描いてみました。

実機の操作はそーじゃない!とか、実際はそんなもんじゃない!!言うご意見やお叱りもおありでしょうが、あくまでイメージ優先ですので何卒ご容赦のほどを…(笑)。

あ、それから、文中に出てくる「キィィィン」とか言う擬音はあくまで文中の効果音です。間違ってもコクピットの中で独りで呟いたりしてませんからね(爆)。一応、念のため(笑)。

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楽しかったよ。また一緒に飛ぼうな、マルヨン…。

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2017/1/10  酉年と機械の鳥。  日常の断片

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平成29年も明けて、早くも10日。当ブログにお越しいただく方もそう多くない…といつも書いてはおりますが、それでも改めてこの場で新年のご挨拶をさせて頂きます。

管理人の私は…と言えば、年末にインフルエンザを発症してしまった為に実家で御馳走にもありつけず、初詣も3日になってようやく…と言った感じのな〜んとなくのんびりだらだらとしたお正月でした。
おかげでまぁ、その分日数以上に長い気がして得したのか損したのかよく分かりません(笑)。

今年は酉年。だからって訳ではありませんが、日程に余裕があったので、「鶏」とか「鳥」でなく機械の鳥!?を見に行こうと思い立ち、青森県立三沢航空科学館に行ってみました。

ここには日本航空協会が「重要航空遺産」と認定した陸軍一式双発高等練習機や、YS-11旅客機の実機、青森県や三沢市に縁がある「航研機」や「ミス・ビードル号」などの実物大レプリカ、退役した自衛隊機などの屋外展示等々、飛行機マニアなら丸1日楽しめるアイテム満載の施設です。

見に行こう…と思い立った理由の一つが、ここに屋外展示されているF-104J「栄光」。インフル罹っている間に久々にDVDで観た東宝映画「今日もわれ大空にあり」に改めて仄々として感動してしまい、主役のF-86F「旭光」と当時の最新鋭機であるF-104Jにも改めて惚れ直してしまったのです(笑)。

しかも調べてみたら、なんと三沢のF-104Jは操縦席に体験搭乗出来る!!もーこーなったら見て乗って触るっきゃない!!!(笑)

と言う訳で、「今日も…」の劇中で歌われる「大空の歌」が頭を駆け巡る中、一路北上して向かった絶好のヒコーキ日和の三沢航空科学館。

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地上展示の退役機とは言え、生涯初めてとなる戦闘機の操縦席の座り心地は如何に!?


次回に続く(…と、良いな 笑)
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2016/12/29  真珠湾。  爺砲弾

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真珠湾攻撃から75年経った今年、安倍総理が真珠湾を訪問してオバマ大統領と共に慰霊式典に参加して、「歴史的スピーチ」を行った事が大きく報じられました。

世の中(…と言うかネットでは!?)これを絶賛したり評価する声が多いようなのですが、果たしてそんなに感動的で歴史的な事なのか?

私にはどう見てもどう聞いても「真珠湾」の政治利用としか思えません。美辞麗句を並べてはおりますが、時期や背景を考えると実に腹ただしく、飯田中佐の話が出てきたあたりで見るに堪えずテレビを切り替えました。

以前終戦70周年に米国議会で演説した際にも感じた違和感がそのまま…と言うより、今回は次期トランプ政権の「日米同盟見直し論」に対する「念押し」と言うか、米国に対する「オモネリ」しか感じられません。

無礼や失礼を承知の上で、敢えてキタナイ言葉で言うならば、前回のオバマ大統領の広島訪問も含め、「あたしたちぃ、すっごいケンカもしたけどぉ〜お互いの傷をなめ合っていまこんなに愛し合ってるのぉ〜♪だから離れ離れなんていや〜ん!」と国内外にノロケまくっているバカップルそのもの。特にオカマのマゾヒストと化した日本が米国にすり寄る気持ち悪い絵しか浮かびません…「何でもするから捨てないで〜」と。

むしろ、こういう事に広島や真珠湾を使う事自体、冒瀆の極みなのでは…と私は考えます。
もっと言えば、日米の激戦地となった沖縄は「寛容と和解」の地となっているのか?このスピーチの裏で蔑ろにされ、かつての激戦から今もなお「本土の防波堤」として多大な負担を強いられる沖縄県民に対し、私は一日本人としてとても悲しく、そして申し訳なく思います。

真の意味で平和を守る、戦争の惨禍を繰り返さない、寛容と和解の心を世界に…と言うのなら、左翼の皆さんが仰るように例えば日華事変が起こった盧溝橋でも同じように慰霊式典を行うべきなのでは、と思うのです。(ただし南京大虐殺記念館のような恣意的な施設では絶対やってはいけませんが…)

殊に来年はその盧溝橋事件から80年。真珠湾であれだけ感動的なスピーチが出来る安倍総理ならば、中国人民を感動の渦に引きずり込み、負の歴史をキッチリ精算できるような素晴らしいスピーチが出来るに違いありませんよね。

もし来年、それが実現できて日中間のほころびを解くキッカケが出来た時、初めてこの日米のやり取りが意味のあったものとして、改めて喜びたいと思いますが、現実にはそのように行かないと思います。

攻撃を受けるアメリカ水兵の様子をあれだけ詩的な感じで「妄想」できたのに、中韓に対するスピーチではそう言った「聴き手を泣かせる」言葉や演出を使わず、通り一遍の言葉を仕方なさそうに繰り返す…同盟国と仮想敵国の違いだし、さんざんあの手この手で謝って来たんだ!と言えばそこまでですが、この違いは余りにあからさまで、恣意的なものを感じて仕方がありません。

そういう配慮の無さの積み重ねが今日の対立を深めている事にも気づかず、米国の反応がそこそこ良い内に、これ幸いとばかりに防衛大臣は靖国神社を参拝し、更に仮想敵国を挑発する火種を作っている…この時点で、あれが広く平和を願う式典から意味が逸れてしまった事をハッキリ物語っていると思います。

…もっともまぁこりゃ蛇足ですが、あの防衛大臣、格好や言う事は勇ましいけど指揮官の器なんか無いし、もし仮に艦長とかやっても乗組員から塩撒かれるような方だと思うのでハナから信用してませんけど。

そもそも日米だろうが日中、日韓だろうが、それぞれの国の歴史観と言うものは、それぞれが見ているものが違う事もあって基本的に変える事は出来ないわけで、それを和解だのなんだのと言うのは無茶な話。

あの場の方々はどうであれ、「大切な戦友や可愛い部下たちを殺したアメリカ人なんかと握手出来るもんか!」と言い続けて生涯を終えた元零戦搭乗員だっているし、原爆投下は米国にとって「正義」であり、真珠湾は「騙し討ち」なのはこれからも概ね変わらないはずです。

歴史問題と言うか過去の過ちと言うものは、謝罪や賠償などの責任を果たしたら、一切蒸し返すような事はせず、あくまでも臭いモノにはフタをして、挑発されても都度キッチリ対処して、相手の導火線引っ張らないようにするしかないのです。

50年経ったから…って言って、城下の盟を行った敗戦国が「我々が正義だった!」「戦勝国も悪だった!」「賠償したからもう言いたい事言っても良いだろ!」と海外で喚いても誰も見向きもしないし、蒸し返しても却って悪者にされて爪はじきにされるだけです。

問題は日米にしろ日中にしろ、現在の国際問題と過去の問題をキッチリ区別しないで対応してしまっている事なのです。過去の事はキッチリ責任を果たしたら、一切振り返って蒸し返したりせず、今現在の問題として対処する。

それをキチンとやって来ていたなら、アチコチでちっぽけな島を横取りしようと「プチ侵略」を企む近隣国に対して堂々と、「あなた方が諭してくれた私たちの間違った過去を、あなた方は歩もうとしているのだ!」と諭す事も出来たかもしれないのに…。

ところがそういう事をすべき方々が堂々と靖国神社を参拝してドヤ顔をする。如何に信教の自由、戦死者への敬意と慰霊と言っても、文官が靖国神社を参拝すれば、中韓が嬉々として「攻撃材料」とする事は分かっているのに、そしてそれが関係をこじらせているにも拘らずやめようともしない。

それが日本の文化だと言い張るのなら、他の面でももっと国際社会に日本の立場を強くねじ込む交渉力と影響力ぐらい持て!!と言いたいのです。国際社会にほとんど影響も与えることもなく、ただただ彼らの金づるとして国民の血税や国債を海外にばら撒くしか能が無い政治家に参拝されても英霊は却って迷惑なはずです。

更にもっと言えば、こんなくだらん事するくらいなら、日本政府は真珠湾攻撃に参加した勇敢な将兵、もっと言えば日本国民に「騙し討ち」の汚名を着せた罪を謝らなくてはいけなかったのでは?とすら思います。かなり穿った見方は承知の上ですが…。

難解で無駄に長文であった宣戦布告の暗号電文をダラダラと送り、あまつさえ現地の外務省職員が同僚の転勤パーティに出席していて文書作成が大幅に遅れ、一時間も遅れて宣戦布告の文書を手渡して相手の大義名分を正当化させてしまう…と言う歴史上最大級の大失態は、戦争の悲惨さと共に語り継がれるべきです。

本来であれば真珠湾攻撃は、宣戦布告後、間髪をいれず機動部隊による大規模攻撃で米国太平洋艦隊の根拠地を一気に叩いて無力化し、その圧倒的な攻撃で米国の戦意を喪失あるいは鈍らせる…と言う、様々な意味においてギリギリの作戦でした。

そういった中で、機動部隊や安倍総理が触れなかった特殊潜航艇の特別攻撃隊も、死にもの狂いで猛訓練を重ね、殉職者まで出しながら攻撃に備え、決死の覚悟で真珠湾に向かっていったのです。

飯田房太中佐(攻撃時は大尉)もその一人です。その端麗な容貌から「お嬢さん」とあだ名され、寡黙で温厚だった中佐は、中国との戦争で航空隊がどんどん戦果を重ねていた頃から、戦争の行く末に疑問と不安を覚えていたと言います。

飯田中佐だけではありません。海を渡り世界を知る機会がある海軍軍人なら尚更、大国相手の戦いがどれだけ大変か理解していたはずです。彼らは大なり小なり覚悟とも諦めともつかない不安を心に秘め、それでもこの大戦争の先兵となれる名誉と誇りを胸に、みな真珠湾へ向かっていったのです。

しかしそれが、役人や政治家のあまりに愚劣なミスで「騙し討ち」となり、彼ら…ひいては日本人そのものが、恨みや憎悪の対象となってしまったのです。

「リメンバー・パールハーバー!!」その合言葉と大義名分の中で、どれだけの日本人が銃弾を浴び、紅蓮の炎に焼かれ、想像を絶する惨い仕打ちを受けてきた事か…大日本帝国から日本国へと変わっても、その罪は消える事はありません。

…「真実はかうだ!!」と言って新たな説が出てきても、「忠臣蔵」では吉良上野介は悪者のままだし、大石内蔵助は英雄のままなのです。

自分達の過去の失敗や、やるべき事ををうやむやにし、日米同盟の「仲良し」ぶりを誇示して、アメリカさまの虎の威を借りて日本人としての矜持と見栄を切る…こんな情けない姿が我が国の保守政権の真実の姿なのです。保守を掲げる大抵の論客もまた然り。

沖縄の基地や日米地位協定などの同盟における問題には完全思考停止。挙句の果ては、昔も今も本土の犠牲となっている沖縄県民に向き合わないばかりか罵る始末。沖縄が独立でもしない限り彼らも同胞なのです。

原発でも同じ事が言えますが、「基地のおかげですっげー良い思いしているだろ?」だなんて、オイシそうだと思うんならみんなで誘致合戦でもすれば良いのにネ…。

アメリカの核の傘があったおかげで我が国は、未曽有の繁栄を手に入れる事が出来た…と言うのも保守層である父の主張ですが、それならば今頃になって過去の占領政策や東京裁判史観、アメリカの戦争犯罪を批判する事無く、大人しくアメリカの言いなりになっていればいいのです。

大体にして、保守層が忌み嫌う東京裁判史観も日本国憲法も「大大だ〜い好きな同盟国」アメリカが与えてくれたものなんですけどね。

不安定な情勢の周辺国をしり目に、米国の庇護のもとで国防の事なんか殆ど考えないで人任せにして70余年、トランプ政権からそのツケを払わされるのか、ツケを払わず自らの意志で国防を含めた周辺国との関係を見直すのか、あるいは…ある意味新しい「戦後」が始まろうとしているのかもしれません。

始められるかどうかは安倍総理の手腕一つにかかってますが、まぁ、ごねてもすり寄ってもしゃぶってもトランプの言いなりで終わるんでしょうね…今はあまり期待できません。

…とまぁ、今年も更新が少なかった当ブログ、恐らく殆ど誰にも読まれないであろうことを良い事に、丸一日使って長々ダラダラと色々ボヤいてみました。インフル罹っているのに良くやるなぁ全く…。

来年こそ、もっと楽しい話題が書ける楽しい年となりますように…
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