かなかなや 橋脚の影 傾けり
按針町は、その名の通り三浦按針(あんじん)の邸宅のあったところ。
その一角に「三浦按針遺跡」があった。
三浦按針はイギリス・ケント州生まれの航海士、ウイリアム・アダムス。
オランダ東印度会社の航海士としてリーフデ号に乗り組んだが、1600年、豊後(大分県)に漂着した。
徳川家康の外交顧問となり、日本橋の近くに邸宅、相模国三浦(横須賀市)に領地を与えられ、造船、砲術、地理、数学等に業績をあげた由。
名前・「三浦按針」は、領地である「三浦」と航海士を意味する按針(水先案内人)から。彼は日本人の妻と子供にも恵まれたが、故郷へ帰りたかったらしい。
が、墓地は彼の領地である三浦の高台にあった。駅の名前は「按針塚」。
8月のお盆には、彼が造船に携わった伊東の按針祭に行ってきたところです。
流燈、花火大会、縁日などにぎやかでした。
按針町の近くには、江戸時代の「長崎屋跡」。
長崎に駐在したオランダ商館長の毎年の江戸登城、将軍拝礼の際の定宿だった。
商館長に随行したシーボルトなど。蘭学に興味をもった人々との貴重な交流の場所だった由。
鎖国の日本にも、外国の匂いが少しはあったのですね。

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