番外14・わたしの思い出のコンピューターゲーム  ゲームコラム

05.01.19当時のものです。

F−ZERO:任天堂/平成2年11月21日発売/レース/スーパーファミコン

内容
 近未来を舞台にしたレーシングゲームで、宙に浮くエアーカーを操作してグランプリを制覇していく。プレイヤーは4タイプのマシンから1台を選択し、15のサーキットを激走。サーキットをクリアするごとに難易度の高いコースが出てくる。

思い出
 高校1年から主に1年間、プレイ。これの気に入ったところは、タイムが記録されるところ。グランプリもやったが、タイムトライアルをした期間が長かった。
 初めのコース「MUTE CITY T」。何回走ったことか。ここのタイムトライアルを熱心にやり続けた。コースを5週してタイムを決める。
 ある部活仲間が「1分58秒台で走れた」と豪語した。また、この頃、コンピュータ雑誌「BASICマガジン」で「1分58秒台への道」というコーナーがあり、全国に証拠ビデオ付き最短記録を募集していた。投稿する気はなかったが、俺は燃えた。1分58秒台を狙った。毎日やった。
 一番速い4番目の車「ファイア・スティングレイ」を操作、初めは2分10秒程度が、段々速くなる。この車の弱点である加速の遅さを「ロケットスタート」と呼ばれる手を使い、一瞬飛び出したところに敵に後ろから突かれる事で加速力を補う技を使う。それで2分を切る様になった。
 ここから100分の1秒に一喜一憂する世界に入った。記録が伸びればやる気は続く。この頃から俺はノートに記録の推移を記録するようにした。また、その成果を1週間の成果ごとに記録、これをF-ZERO週記と名づけた。さらに月間最高記録を折れ線グラフで表し、記録の推移を一目で分るようにした。
 記録更新するたび、思わずガッツポーズが出る。しかし、ある程度記録が伸びると止まる。すると俺は更に早く走れる方法を考える。すると、コース中のS字のところで外壁と減速ゾーンの間に僅かに隙間があることを発見、そこを通れば真っ直ぐに進めて結果さらに早く走れた。但し、そんな狭いところにどちらにも触らずに通るなんて20回に1回しか成功しなかった。
 それだけにうまく行くと手が震えた。それでせっかくの走りを台無しにしたこともあった。だが、限界はやってくる。
 買って1年後、1分59秒06まで行ったが「俺にはもうタイムを縮められねえ」と思って諦めた。そしてそのころ、俺のF-ZEROは壊れ、記録が残せなくなってしまい、高校3年の時に処分した。

 ・・・そんなことは思い出に変わりつつ、20歳になったころだっただろうか、ある友人卓でF-ZEROを見つけた。俺は、貸してくれと頼み、借りた。俺のやりたいことはまだ達成していない、と思い出した。
 記録したノートはこの時まだ健在で、久々に記録を見ながら、また挑戦が始まった。既にBASICマガジンではもう掲載なんぞしてないし、友人間でもこの話題では話も弾まなかった。しかし、俺は「やらなければ」、と思った。
 久しぶりの感覚に戸惑う。しかし、やりこんだことは体が何処かで覚えている。然程時間はかからずに以前の技術を出せるようになった。すると1分59秒02を出して記録更新。完全にやる気が復活。
 そして・・・ついに、1分58秒92。周回ラップも自己最高。自分の力で出せる限界の記録だと感じた。BASICマガジンでの日本記録は1分58秒41だったのでまだまだ遅いが、ブームも過ぎ去っていたし、自分の最高最速の走りをした達成感と満足感で、これ以上を望むことは無かった。
 最後に友人に返す時に記録を見せたかったが、差込時のショックで記録が消えてしまった。つまりこの記録をみた証人はいないのだ。でも、それでもいいと思った。

 このゲームを通じて学んだことは、記録というものはその日その時の調子に左右されること、陸上選手などが記録の挑戦がかかっている時にまだ試技の回数が残っているのにやめることがあるが、その気持ちが分るような気がすることだ。
 また、やっている最中で大体どの程度の記録が出るか察しがついてしまう、ということも分った。

 スーパーファミコンの中ではこれが最もやりこんだゲームだった。


参考文献:「広技苑20世紀最終保存版」(株)毎日コミュニケーションズ
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