一年前の今日、2006/1/16。
長男が発症した日です。
もう一年たったんだなぁ…。
(今回の話は摂食障害とは関係のない私事で、しかも長いです。失礼。)
一週間前から冬休みが明けて幼稚園も始まっているのに、
長男は休み続けてた。
熱があったって、幼稚園に行きたがる子なのに、
冬休み中だって、早く幼稚園に行きたいって言ってた子が。
どうしても気分が悪くて行けないという。
37℃くらいの微熱が続いていた。
2回ほど、小児科を受診したけど、特に悪いところはないと言われていた。
そして一年前の今日、1/16月曜日。
この日も幼稚園に行けない、というので、そのまま寝せておいた。
朝10時過ぎ。
当時就園前だった次男と一階のリビングにいると、二階から降りてくる足音がした。
起きてきたんだな、と思った。
しばらくして、玄関でガタガタと何かが崩れる音がして、かけつけると、
長男が、玄関の下駄箱の上に登ろうとしていた。
さっきの物音は脚をかけ損ねて倒れた音だった。
長男はまた、登ろうとしていた。
危なくて、私は慌てて彼を支えた。
「どうしたの?何をしてるの?」
長男は遠くを見て、不思議そうに首を傾けると、私の問いには答えず、くるりと向きを変えてリビングに行った。
後を追いかけてリビングに行くと、今度はまたくるりと向きを変えて洗面所に行き、踏み台に登った。
そしてパジャマのズボンとパンツをめくってお尻を出した。
ふざけてるのかと思った。
「何?何がしたいの?」
すると、服をもどし、また玄関の下駄箱の取っ手に脚をかけて登ろうとした。
危ないよ!と止めると、今度は洗面所に行き、踏み台を2つ重ねて乗ろうとした。
踏み台が安定してないから、危なくて、私は後ろから体を支えた。
すると、彼はズボンをおろして、洗面台におしっこをした。
私はこぼれないように、体が倒れないように、後ろから支えた。
「○ちゃん?どうしたの?ここでしてみたかったの?」
私は半分笑いながら静かに聞いた。
ただの悪ふざけであって欲しかった。
長男は何も答えず、すぐにリビングに向かった。
私が後ろから追いかけて肩をたたくと、向き直って私にもたれた。
けれど、その顔に表情はなかった。
名前を呼んでも反応はない。
遠くを見て、突然に違う方向に歩き出す。
かと思うと私にもたれてくる。
その繰り返し。
私はどうしていいか分からなくて救急車を呼んだ。
こんなことは初めてだった。
病院について、診察をしてもらっていると、突然痙攣を起こした。
みるみる唇が青くなり、口から泡を吹いて、白目をむいて、全身を振るわせると、
私はすぐに診察室から追い出されてしまった。
何がなんだか分からないまま、長い時間部屋の外で待たされた。
30分だったのか一時間だったのか、あるいは10分くらいだったのかもしれない。
すぐに入院手続きとなった。
夫も駆けつけてくれた。
病室はナースステーションのすぐ前で、ガラス張りで見通しがよく、
見るからに重症の子供たちばかりがいる部屋だった。
長男は何度か痙攣を繰り返した。
相変わらず、表情のない彼。
何を話しても、分かっているのかいないのか、分からない。
私はいったん家に戻り、入院の荷物をまとめた。
子供部屋に入り、買ったばかりのランドセルを見て、
このランドセルを背負って、近所の小学校に通うことがあるだろうか、と思った。
お気に入りのおもちゃやゲームを見て、またこれで同じように遊べるだろうか、と思った。
サッカーボールを蹴れるだろうか、と思った。
泣きたくないのに、涙があふれる。何も考えたくなかった。
病院に戻り、夜8時過ぎ。
主治医の先生と話をした。
まだ何の病気かわからない、免疫反応とか、てんかんとか、
最悪の場合は脳炎や髄膜炎のおそれもあると。
今できることは、ヘルペス脳炎の薬の投入と、痙攣止めと、脳の浮腫を防ぐためのステロイドを投薬するだけ。
ヘルペス脳炎はまだ、検査結果が出ていなかったが、
もしも、ヘルペス脳炎であった場合は、とにかく早めに薬を投入することが大事。
脳炎にはたくさんの種類があるが、特効薬があるのはインフルエンザ脳炎とヘルペス脳炎のみだそうだ。
インフルエンザ脳炎は急激に進み、あっというまに生死を争う事態となる。
それとは違うことは所見から分かる。
そうするともう、薬が通用するのはヘルペスしかない。
それ以外の脳炎だった場合は、薬がなかった。
ただ、分かっているのは息子は生きているということ。
わけのわからない反応をするが、ご飯は食べていた。
先生は「呼吸ができなくなる子や、体のどこかが動かなくなる子もいる。」と仰った。
息子は運がいい。とにかく生きてる。体も動く。
だから、泣いちゃいけない。これからが始まり。
病棟内は両親以外は入れないので、ジナンの預け先を考えなければならなかった。
その日は近所の友達が預かっていてくれたが、毎日甘えるわけにはいかない。
私は二人の子供を必ず幸せにしなくては、と思った。
その夜は夫婦とも、とても眠れなかった。忘れられない一日だった。
息子はどうなっていくのか、全く分からないまま、1/16が過ぎた。
それから数日、相変わらず痙攣を何度も繰り返していた。
ただ、息子の様子は毎日変わった。
翌日まで、息子は静かで無反応だった。
それがその翌日にはわけの分からないことを言って大笑いしたりしていた。
その様子はとても尋常ではなかったけど、久しぶりに笑った顔を見れて本当に嬉しかった。
その翌日には長男は怯えていた。
怖い、怖い、と泣いていた。
「死にたくない。ひとりで死にたくない。一緒に死んで」
と言った。だからそのときは一緒に死ぬと約束した。
でも、死なないから大丈夫、と何度も言った。
夢を見たのか?幻覚が見えるのか?
「この部屋に狼がいる」
とか
「悪魔がいる」
とか言って大声を出した。
落ち着いている、と思ったら
「おとうさん、おかあさん、家族になれて幸せだったよ、ありがとう。さようなら。」
なんて言ったり…。
同じ病室の重篤そうなほかの子供のことをとても心配していた。
その子を殺さないで!!ひどいことしないで!お願いします!!
と泣きながら看護婦さんや先生に頼んでいた。
「看護婦さんや先生は助けてくれてるんだよ。」と何度も話した。
ご飯を持ってきてもらうと、「いつも本当に美味しいご飯をありがとうございます。ありがとうございます。」
と何度も頭を下げるので、配膳される方はすっかり息子を覚えて笑ってくれていた。
点滴を変えたり、体温を測ったり、看護婦さんが来てくれるたびに
「点滴を換えてくれてありがとうございます。」など必ず頭を下げた。
他の子供の見舞いに来ている親御さんに、食べている食事をわけようとしたり、
みんな息子のことを覚えて苦笑していた。
数日後、検査の結果からヘルペス脳炎ではないことが分かった。
その時点で薬の投薬はやめた。
後は痙攣止めと脳浮腫止めの点滴だけだった。
けれど、病名は確定していた。
「脳炎」
症状から間違いないと言われた。
次男は保育園や保育所に片っ端から電話したが、この辺は子供の数が多くて、どこもいっぱいだった。
事情を話してなんとか2時間なら・・・などと言われて、時間を分けて預け替えをしたりした。
甘えん坊のジナンは行きたくない、と泣いて嫌がったが、そうするしかなかった。
ジナンがどうしても保育園に行きたくないと泣くので、
福岡の母に来てもらうことになった。
おかげで、それから私が病院に通う間、安心してジナンを見てもらえた。
私は毎日くたくたなのに眠れず、母に睡眠薬を分けてもらった。
食事も全く食べたくなかったけど、自分が倒れるわけにはいかない、と無理やり食べた。
けれどやっぱり病気してしまった。
高熱が出た。肺炎だった。
それでも、入院している場合ではないので、毎日息子が入院している病院で点滴を受けてから、息子の病棟に向かった。
そして、2月。
息子の痙攣が起きる頻度はかなり減っていた。
精神状態も徐々に落ち着いてきた。
私や夫のことも分かり、弟に会いたいと言っていた。
幼稚園のことや、近所の友達の名前もだいたい分かる。
素晴しい回復だった。
薬がなかったから、彼自身の免疫で戦うしかなかった。
脳の中に入ったウイルスを、彼自身の力でやっつけたらしい。
すぐに打ち勝てたわけではなかった。
痙攣止めの点滴を経口薬にかえると、しばらくしてまた痙攣を起こした。
そのときには本人の意識はないのだが、とても怖い思いをするらしい。
とても怯えていた。
そんなことを繰り返したが、2/6、とうとう、外泊許可がでた。
2/6は私の誕生日だった。
みんなでケーキを食べてお祝いしてくれた。
何よりの誕生日プレゼントだった。
2月の下旬には退院し、大好きな幼稚園にも戻った。
卒園まで1ヶ月をきっていた。
私はもう通えないと思っていたから、本当に嬉しかった。
幼稚園に登園する日、幼稚園に頼んで、私も付き添わせてもらった。
クラスの子供たちは大興奮でみんなで息子を取り囲み、一日中はなれなかった。
じゃんけんでとなりのポジションを争った。
嬉しくて泣いてる子もいた。
その日は午前中で帰ることにしていたが、帰らないで、と泣く子もいた。
本当にいい友達に囲まれて、だから、息子は幼稚園が大好きなんだなぁと私も目頭が熱くなった。
卒園・そして入学。
友達や先生にも恵まれて、学校が大好きな長男。
けれど今でも熱を出すと痙攣を起こす。
6月には痙攣がとまらなくなり、また入院した。
朝・夜、かならず痙攣止めの薬を飲む。
12月に(多分)夜薬を飲み忘れていたらしく、明け方に痙攣を起こした。
今でもまだ油断はできない。
治れたこと、本当に運がよかった。
たくさんの人に支えられたからこそなのかもしれない。
千羽鶴を折ってくれた従兄弟たちや、手紙をくれたり、お祈りしてくれた近所の子供たちや、幼稚園のみんな。
毎日毎晩祈り続けてくれた舅・姑。
福岡から飛んできて家のことや次男のことを助けてくれた母。
最善を尽くしてくださった病院の先生や看護婦さん。
いつも相談に乗ってくれた脳外科医の夫の友人。
ずっと感謝していかなければならないと思う。
それまで、障害を持つ人のことを深く考えたことなどなかった。
わけのわからないことを叫んだり、独り言を言いながら歩いている人を、
みんな、避けるようにしたり、蔑んだ目でみたりしている。
私もどちらかというと、あまり関わりたくない、という差別の気持ちを知らずに抱いていたように思う。
けれど、今は本当にその人が幸せになるように、と思う。
息子の病気は私に色んなことを教えてくれた。
世の中にはいろんな病気があって、どうしても治らない子もいて、
生きにくさを抱えながらも、一生懸命生きている人たちや、
一分一秒でも長く生きたいのに、生きられない人たちもいる。
思いっきり生きて、
思いっきり遊んで、けんかして、
泣いたり、笑ったり、怒ったり、
それがどんなに幸せなことか。
子供はもう一年前のことをずいぶん忘れたみたいだ。
だからしっかり言い聞かせていくつもり。私自身も忘れないように・・・。

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