大木金太郎が 逝った
【毎日新聞】【朝鮮日報JNS】【中央日報】
子供の頃⋯⋯吉村道明に続くヒーローは、馬場でも猪木でもなく、大木金太郎だった。
日本の象徴的な名前の一つを冠したこの男が、素を正せば朝鮮半島からの密航者であることなど、もちろん知らなかった。
彼の抱えている数多の問題に想いがいたることなど無かったが、情念の塊のような頭突きに、ただただ魅せられていたような気がする。
1960, 9,30 台東体育館
○大木(7′06″逆腕固め)猪木× 猪木、デビュー
1960,10,14 札幌 大木(ドロー)馬場
1960,10,25 呉市二河プール
○大木金太郎(腕固め)馬場正平●
1961, 4,23 靖国神社境内相撲場特設リング 奉納プロレス
×大木(6′20″体固め)馬場○
大木┓ ┏土佐の花
馬場┛0−2┗長沢
1961, 5, 1 東京体育館 ○大木(5′00″逆片エビ固め)長沢×
1961,12,17 枚方
力道山 ┓ ┏ルター・レンジ
豊登 ┃0−2┃リッキー・ワルドー
吉村→大木┛ ┗ロニー・エチソン
1962, 4,27 神戸 ワールドリーグ戦
×大木金太郎 VS.ディック・ハットン○
1962, 5, 1 小郡 ×大木金太郎 VS.ルー・テーズ○
1963, 3,24 蔵前国技館 ワールドリーグ戦
×大木金太郎(1R 6′21″エビ固め)パット・オコーナー○
1964, 4, 3 蔵前国技館 ○大木(4′40″4の字固め)長沢×
1967, 4,29 ソウル
★WWA世界ヘビー
×マーク・ルーイン VS.キム・イル○
1971, 5, 9 岐阜市民センター
大木┓ ┏アブドーラ・ザ・ブッチャー
馬場┛2−1┗レイ・メンドーサ
1972,12, 2 蔵前国技館
★インタータッグ選手権
大木┓ ┏ジン・キニスキー
坂口┛2−1┗ボボ・ブラジル
1973, 4,13 大阪府立体育会館
★インターナショナル・ヘビー級選手権
大木金太郎(1-1)フリッツ・フォン・エリック
1973, 4,20 群馬県吉井町体育館/日本プロレス最終興行
大木┓ ┏フリッツ・フォン・エリック
小鹿┛2−1┗C・リバース
1973, 6,30 日本プロレス残党勢、全日本に吸収合併
1973,11 大木、処遇を不満として全日本を離脱
1974,10,10 蔵前国技館
★NWF世界ヘビー
○アントニオ猪木(13′13″体固め)大木金太郎×
1975, 3,27 ソウル奨忠体育館
★インターヘビー
金一(13′18″両者RO)アントニオ猪木
1975,12,11 力道山13回忌追善合同大試合/日本・国際・全日本合同
大木金太郎(両者RO)アブドーラ・ザ・ブッチャー
1979,11, 7 尼崎 大木金太郎(両者RO)天龍源一郎
1979,12, 3 札幌 ○大木金太郎(RO)天龍源一郎×
1980, 5,15 大宮スケートセンター
★インターヘビー
○大木金太郎(2-1)ジョー・ルダック×
1995, 4, 2 東京ドーム 日本引退セレモニー
2000, 3,25 ソウル 引退セレモニー
大木金太郎こと金一(キム・イル)の生年にはいくつかの説があるが、享年77というのが公式発表か。
だとすると、あと1年で78歳。
“永遠の師”力道山の、丁度倍の時間を生きることになるところだった。
合掌。