先日TVで久米宏が言っていた。
「約束を守る事と責任を果たす事は違いますから」
どういう意味だろう?
感覚としては分かる気がする。
でも、上手く説明できない。
説明できないって言うのは分かっていないのと同じことだ。
何か悔しい。
なんで、
多少強引に自分の考えをまとめてみよう。
『約束』は誰かとの具体的な取り決め。
『責任』は誰かの漠然とした期待値、自分が自分に課す理想の高さ。
そんな風に思う。
そう言えば。
以前芝居が仕上がらず、何日徹夜稽古して初日を迎えたことがあった。
ボロボロになりながら、何とか初日の幕が開いた。
決められた日時に幕は開いた。
だから、お客さんとの『約束』は守れたのかもしれない。
けど、それは『責任』を果たしたことにはならない。
例えお客さんが満足してくれたとしても、
自分自身が納得できるラインに達していないのならば、
それは恥ずべきことだ。
だって、
俺は、誰かがぶったげる瞬間の創造に全精力を傾けているんだ。
時々、
「頑張るから応援に来てね」なんて舞台の案内を貰う。
“頑張る”って言葉を無意識に使っているのは分かる。
けど、「それは違う」って思う。
“頑張る”は嫌なことを無理矢理クリアしなきゃいけない時に使う言葉であって、楽しいことや好きなことをやるのに“頑張る”は使わないんじゃないか。
「頑張って遊んでます」なんて言わないし。
だから、役者が舞台をやるのに“頑張る”と言うべきじゃない。
無意識にも言うべきじゃない。
だって、
言葉に神経を使わない役者に、良い舞台が出来るワケがないんだ。
「頑張るから応援に来てね」は“面白いかどうかは分かんないけど、それは度外視して観に来て。友達じゃん”と意味に思えてしまう。
当然の如く、そんな舞台は観たくない。
だって、
作品に対して『責任』を果たそうしない人の舞台は何だかつまらなそうだ。
大分脱線したな。それに“頑張る”の話は前にも書いたし。
『約束』と『責任』の話だったな。
俺だったら、
「面白いから楽しみに来て」って舞台の案内を出す。
そして、その言葉に対して責任を果たそうと思う。
…けど、責任を果たすことなんて出来るかな?
だって、
誰かの期待値をクリアできても、自分に課した理想の高さをクリアできても、
クリアした瞬間にもっと高いバーを自分の中に想定してしまうんだ。
ひとつの責任をクリアした気になっても、次の瞬間にはもっと高い責任がそこにあるんだ。
その繰り返し。
そんな風にもっともっとを繰り返しながら転がっていく。
それは別に嫌なことじゃない。
だって、
何かを創造するとはそういうことなのだから。
“頑張って”などいない。
ただ、
“楽しんで”いるだけだ。

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