日本人の外国移民時代を振り返る(10 )  現代の政治・経済問題

日本人の外国移民時代を振り返る(10)


明治政府がハワイ王国政府との条約を締結して1885年から官約移民をハワイに送り出してから、日本人労働移民が海を越えて海外に出ることになった。

岡部牧夫は官約移民から、「日清戦争を経て日露戦争に至るまでの20年間は、近代日本の移民活動が本格的に成立した時期である」『海を渡った日本人』(山川出版社、2002)と説いている。

とくに、海を渡る日本人労働者のほとんどが、移民会社の周旋による「私的移民」だった。労働移民は、3年程度の年季契約移民として送り出されたケースが多かった。前回の文末に述べたように、1894(明治27)年以降は日本の移民活動が第3期を迎えていた。そしてそれは、「私的自由移民(私的移民)」の時代としてしばらく成長をみたのだった。

1894年には、広島県を中心に募集された移民希望者が、今では考えられないかも知れないが、フィジー諸島のサトウキビ農園の労働者として年季契約移民として南太平洋の島嶼国へ送られたのである。

一方、1898年米国によるハワイ国併合が行われて1900年に基本法が出来た。これによって契約移民は禁止されることになった。また、既存の労働契約も「無効」とされることになり、日本人移民にとっては大きな打撃となったことは間違いないのだが、米国本土への併合で、米国の諸法がハワイに適用されるようになった。

ハワイのサトウキビ農園で半奴隷的な処遇を受けて働かされていた日本人契約移民にとっては、これまでの過酷な労働から解放されることになり喜ぶ者も多かった。日本人労働者の多くが、米国本土を目指して大移動を開始したのである。

1902年には1000人の日本人労働者が米国に新天地を求めた。さらに1906年には1万人もの日本人が米国本土を目指したという。

とくに日露戦争直後にはハワイへの渡航者が激増したという。しかもそのほとんどが米国本土への転航で、米国本土への日本人移民もまた急増した。米国も対抗策として移民制限にでたのである。

米国の連邦移民法が成立し、米国の日本からの移民が難しくなった1924年まで、1894年の官約移民制度の廃止から約30年間が日本人の海外(国際)移民の第3期と考えられる。ただ、この第3期間中の1910年8月に、日本と韓国との間で「日韓併合条約」が交わされた。

その結果、韓国には朝鮮総督府が設置され、その統治下に置かれていたこともあって、日本からの朝鮮への移民も含めて渡航者が1910年以降急増した。

1895年、日清戦争の結果、日本は清から台湾を割譲させて、台湾総督府の統治下に置いたこともあって日本人の台湾への渡航者は年々増加した。

かくして、日本の移民活動は第4期に入るが、ひとまず、[日本人の外国移民時代を振り返る](日本人移民小史)は、ここでお休みにします。
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