2007/12/12
鬼畜道執筆完成
2007年4月6日〜2007年12月12日
原稿用紙357枚
「天使の羽を持つ子」とは別作品になります
鬼畜道より冒頭部分
パパ、ママ……。
「何で僕を産んだの?」
死ぬまでに、一度でいいから聞いてみたい。
まだ自分の事を「僕」と呼んでいた時代。
僕は、男三兄弟の長男「神威龍一」として生まれた。本家の初孫である。だから当然、様々な人に可愛がられた。
「龍ちゃん」
みんな、そう呼びながら、満面の笑顔で優しく接してくる。
幼き頃の写真を見ると、あどけない顔をして幸せそうな、そして無邪気だったのが分かる。
二歳の時に弟が生まれ、四歳になって二人目の弟が生まれた。
いつからなのだろう。心の根底に憎悪が流れている事に気がついたのは……。
今一度、ここで過去を思い出し、自分自身を振り返る事が必要な気がした。
目を閉じ、頭の中で幼き頃を思い浮かべる。
脳内で昭和の匂いのする古めかしい映像が、ゆっくりと映り始めた。
家の目の前には、県道を挟んで、二階建ての映画館があった。
おばさんの話によると、僕は、いつも不思議そうな顔をしながら、映画館を眺めていたそうだ。まだ、僕が二歳ぐらいの頃らしい。
後ろから「龍ちゃん」と背中を叩くと、目玉がこぼれてしまうのではないかというぐらい、大きな目をしていたそうだ。
家は大家族であった。
おじいちゃんにおばあちゃん。パパ、ママ。それにパパの妹であるおばさん。家では商売もやっていたので、住み込みの従業員もたくさんいた。
住み込みで十年ほど働いていた大ちゃん。僕が四歳の時、確か二十五歳だったと思う。その大ちゃんは仕事が終わると、僕の手を引いて近所のデパートに連れて行ってくれた。行くと必ず大ちゃんは、少ない小遣いの中から、僕に色々なものを買ってくれた。
デパートの入り口のそばに、一台の軽自動車を改造して店にしたホットドック屋があった。普通のホットドックの他に、中身が長細いハンバーグのものもあった。僕はそのハンバーグドックが大好きで、行くと、いつもねだって食べていた。
三年保育の幼稚園に通うようになると、友達が一気に増えた。
家の周りは商店街なので、商売人の子供が園児の中で、三分の二は占めていた。パン屋の息子やお菓子屋の娘。本屋の娘などが羨ましくて仕方がない。だって毎日おいしい菓子パンを好きなだけ食べられたり、好きなだけ漫画を読めたり出来るのだから。
僕の家はクリーニング屋さん。洗濯代は、もちろん一切掛からない。大きくなってから、初めてそのありがたみが理解出来るようになったが、幼い僕は、いつも友達の家を羨ましがってばかりいた。
目の前の映画館は、僕にとって日常の遊び場だった。
そこで働くおじさんたちは、僕を見かけると、必ず中に入れてくれた。いつも、二階席の一番前に座らせてくれ、僕は何の映画か内容も分からず、スクリーンをただジッと眺めていた。おじさんはアンパンとコーラの入ったビンをいつも僕にくれる。今、思えばおじさんは、自分のお金で買ってくれていたのだろう。
ようするに僕は、非常に可愛がられていた訳だ。そんな状況できたものだから、高校を卒業するまで、映画を見るのに料金を払った事が一度もない。
幼稚園の担任の先生とも非常に仲が良かった。先生は大の映画好きだったので、僕は前の映画館に行き、ポスターやパンフレットをもらえるようにお願いした。映画館のおじさんはにっこり笑って、快くプレゼントしてくれた。僕はもらったものを先生に全部あげた。先生は顔をほころばし、お返しにと、別の映画館で上映されたパンフレットを僕にくれた。
僕は他の同世代と比べると、なかなか恵まれた環境で育ったといえよう。
家の中の従業員やお手伝いさんたちは、幼い僕の事をいつも坊っちゃんと呼んだ。常に僕は笑っていた。毎日が楽しくて仕方がなかった。
当時、家の二階の一室に、両親と一緒に住んでいた僕。いつも映画館から、何かしらの音楽が聞こえてきた。
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投稿者:かわごえれっず
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