時として…
薄っぺらい感情なら、与えないほうがいい
そして……
無知とは罪である
目先の事しか考えないのは業である
人間として生きているのだから、思いやりを持ち、死を迎える時はいい人生だったなと笑いたいものだ
それと……
夢を与えていると勘違いしている会社へ
いい加減にしましょうよ?
人々の想いに過度な期待を与えときながら、それをなかった事に……
そんなものは
詐欺行為と変わらない
作品にはその人の
想いや
魂、
信念、
時間が込められている
時は金なりとも言う
募集を掛けておきながら、それを無下にするような行為
それに対し、悪びれず、謝りもしないのは
人間として非常に悲しい事であり、恥ずかしい事である
もう
●●開催とかやめましょう
失望する人や迷惑な人が多数でますよ?
では業とは何か?

『ブリハド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』
あたかも金細工人が一つの黄金の小部分を資料とし、さらに新しくかつ美しい他の形像を造るように、この我も身体と無明とを脱して、新しく美しい他の形像を造る。それは、あるいは祖先であり、あるいは乾闥婆(けんだつば)であり、あるいは諸神であり、生生であり、梵天であり、もしくは他の有情である。
……人は言動するによって、いろいろの地位をうる。そのように言動によって未来の生をうる。
まことに善業の人は善となり、悪業の人は悪となり、福業によって福人となり、罪業によって罪人となる。
故に、世の人はいう。
人は欲よりなる。欲にしたがって意志を形成し、意志の向かうところにしたがって業を実現する。
その業にしたがって、その相応する結果がある
仏教の基本的概念のひとつ。サンスクリット "karman" の訳。本来は行為の意味。
因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、輪廻思想・業感縁起の基礎となる。
宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与える。
『百道梵書』
善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。
浄行によって浄たるべく。
汚れたる行によって、汚れをうくべしく。
善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。
死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる
今の世の中すべてに余裕がない
みな、いっぱいいっぱいである
自分の事で精一杯
されど少しだけ周りを見渡し、足元にいる蟻でいい……
それを踏まぬよう気遣える
そんな世の中になってほしい