句をいくつかまとめて発表するときタイトルを付けるのが慣わしのようだ。毎月「麦」誌に投句する自選5句もそう。
たいていはいずれかの句に含まれる語をタイトルにするようだが、私の場合、何を思ったか、自選投句(同人になると、これができる。どこもそうか?)の初回に、「句のなかにある語というのも芸がないな」どと思ってしまい、それ以来、ほとんど、句のなかにない語をタイトルにするスタイルを通している。
タイトルは5句と関連することもあるが、ただ気分、ということのほうが多い。その場で適当なので、どんなタイトルを付けたかもほとんど憶えていない。
むかし、祐天寺大将が同人の自選5句欄の句評ページを担当したとき、このタイトルのことを取り上げた。実際、同人の5句とタイトルを全部見てみたところ、ほとんどが句のなかから語を取り出すスタイルで、そうでなかったのは2人だかそのくらいだけだった。それに私も入っていて、おかげさまでへなちょこな句でも句評に取り上げていただけた。
句に含まれる語をタイトルにするのは、それなりに安定感があるし、悪くはない。でも、最初に「別の語で」と思ってしまったからしかたがない。続けているが、だんだんつらくなる。語が湧いてこないときがある。いいかげんなタイトルなのに、思いつかないことも多い。先月などは、句に「写真機」とあって、5句のタイトルは「カメラ」。なんだ、こりゃ? 同じと、同じことだ。
しかし、同人が毎月自選で発表できるスペースは、5句+タイトル1行で6行。言葉を重複させるのは、もったいないといえばもったいない。
なぜ、こんな思い出話みたいなことを書くのかというと、私がもったいないと思うよりも、もっとおもしろく、この問題を考えている記事があったからだ。
戦国洗顔史という記事。
http://syuuu.blog63.fc2.com/blog-entry-79.html
書いているのは、西川火尖さんといって、炎環の若手(ほんとに若いね)。この
「そして俳句の振れ幅」というブログ、おもしろいですよ。オススメ。
さて、この記事によると炎環の同人欄でも、句のなかの語をタイトルにするスタイルが圧倒的に多いようだ。どこもそうなんだろう。
火尖さんは言う。
そのタイトルですが中身とは何の関係もなくても、こだわりはあります。
言葉の新しい効果を発信することです。
この記事を読んで、「タイトルは、もっと気楽に好き勝手することにしよう」という気になった。

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