俳句的日常 別室

 

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投稿者:TENKI
そのB

「教育」(カギ括弧付きです)ということへの姿勢も、私には興味深い。大江さんのおっっしゃる「他人事ふう」ということは、私にはちょっとよくわかりません。雑駁な若者観から「教育」の「在り方」を論じる人をたくさん見ますが、それとは逆に、内田先生は、目の前の若い人に向かって「質の良い知性」であることという抑制の効いた姿勢を崩さない。

って、なにも内田樹を称揚する必要はないのですが、私にとって、とても興味深い知性なのです。
(ただ、まったく付いていけないとこ、あります。武道。それもニューサイエンス風に身心一体論ぽいところ)

なお、満室と言われたホテルに知人のコネで泊まれたこと、それが「中間的共同体の再構築」と結びつくことはありませんが、矛盾はしないと思いますが? 客商売であるホテルが客を選別するその興味深い現場に立ち会ったという小さなエピソード。内田先生が、コネの有無で自分の生徒を依怙贔屓するしたとしたら、彼のセンスを疑いますが、ホテルのセンスとはそういうものでしょう。これは不平等とかディバイド(階層化)という話ではなく、ホテル側のの顧客管理=セールス促進に過ぎない。

そういう現場に遭遇して、「やっぱり世の中カネだ」と思う(ナイーヴすぎる)人もいれば、「平等社会を実現せねば」とトンチンカンでタチの悪い方向に行く人もいれば、「ラッキー!」と軽く通過していく人もいる。あたりませですが、内田先生はいちばん最後のタイプのようだから、私は問題には感じません。

このへんは、趣味というかセンスの問題ですね。論理ではなく。

でも、大江さんが、内田樹に関して「なんだかなあ」とお感じになる、そのことそのものは、私にとってとても有益でした。私は、読者として、なかばファン化しているので、相対化が必要、と思うようになりました。多謝です。
投稿者:TENKI
そのA

「高みの見物らしい態度」という印象を与えかねない筆致は、たしかにありますね。ただ、それも「俯瞰的」というふうに私は解しています(ちょっと無理がありますか?)。

ただ、ここからがさらに興味深いところなのですが、そうしたクリアでハイブラウな論説を展開しながら、最後は、現実へと働きかけようとする点です。

ある部分では、私たち(というと語弊がある。私、ですね)のような性能の悪い頭の持ち主にも理解できるような、ていねいな説明がほどこされる。かつ、「中間的共同体の再構築」という、ある意味で、愚直にポジティブな方向性をきっちりと持ち出す。言い方を変えれば、個人に拡散させない、社会的な動きや方向性を示す。もっと具体的にいえば、「中間的共同体の再構築」なんて無理だから、その前提なしで(個人的に)生き抜く方法という方向に持っていかない。
投稿者:TENKI
その@ ……コメント欄は1000字を超えると投稿不可になるのですね。不便。コメントを分割します。

私も数冊読みましたが、爽快なくらいに論理がクリア!に思えました。ブログのこれら一連の記事は、やや未整理の感は残りますが、問題の所在そのものが興味深く、また問題へのアプローチが重層的で、私にはやはり魅力的です。機会としてあらかじめデヴァイド(階層化)される社会が、はたして個別に目新しい問題なのかどうか。それも視野に含めておこうとする、その途中のような感じです(米国の女性嫌悪へと話題が広がったところ)。

大江さんのおっしゃる「高みの見物らしい態度」「屈折した選良意識」の件はよく理解できます。ただ、それを私は肯定してしまうのです。

選良意識は、屈折付きでなければならない。と、これは私の考え、というかセンス。世の中にはきわめて優秀な、というか性能の良い頭脳と思考の持ち主がごくわずか存在していて、彼らは自分のことも客観視できるから「選良」意識は致し方のないものです。ただし、中途半端に優秀な人々もいっぱいいて、彼らは往々にして「屈折なしの選良意識」を持ってしまう。それはそれは泥臭いものです。それどころか根拠のない「選良意識」にとらわれてしまう人さえもいる。富裕だからとか、入試難度の高い大学の出身だからとか、有名企業に就職したからとか、その程度。まさに「選良」の大インフレ。これはもう勘違いに過ぎない。

話がちょっと逸れましたが、つまり内田樹の場合、私の思う「滅多にお目にかかることのない高性能の頭脳・思考の持ち主」に当てはまり、その「屈折」という洗練の度合いも、私には好ましく思えるのです。

選良意識に洗練を加えると屈折が伴う、この論理の筋道はちょっとややこしくて、私もよくわかっていないので、端折らせてください。簡単にいえば、「屈折付きならいいんじゃないの? 選良意識も。それに、ほんとに良質なんだから」という感じでしょうか。
(つづく)
投稿者:大江進
 内田樹は私は「なんだかなぁ」ですな。天気さんが紹介された
ブログの当該箇所も、一見論理的なようにみえますがよく読むと
矛盾が多いし、ご自分が大学というまさしく教育の現場にいなが
ら「若者の教育」についての言い分はまるっきり他人事ふう。
 二三、氏の著作を読みましたが、途中で嫌になって放り出して
しまいました。うまく言えないが、その高みの見物らしい態度や
屈折した選良意識が鼻につきますね、私は。3/21の「品川プリン
スホテルに満室にもかかわらず先生のコネで泊まることができ
た」話などはその典型。このあたりの感性と「中間的共同体の再
構築」とがどのように結びつくのかまるで謎です。
 それから、氏は物書きのプロにもかかわらず、段落分けも頭1
字下げもなく長文をだらだらとどうして書き連ねることができる
のかも不思議ですな。

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