は、すんごくややこしい。
ただ、個人という局面では、それほどややこしくない。好きにすればよいのだ。誤字を記すという自由さえも含め、個人が自分の名で何かを書くときの表記は、なんだってよい。そのことによる成果も責任も個人に帰属するからである。これ、あたりまえの話ね。
個人という脈絡においては、旧漢字だろうが新漢字だろうが、「勝手にどうぞ」というわけだが、文字というものは社会的なもので、また汎用性のきわめて高い道具として重要なものだから、こうしよう、ああしようという議論もある。
って、一般的なことを話していても、おもしろくないので、興味深いサイトをふたつ。
略字については、
ここ。なかなかていねいな記述で、しかも実用情報も含まれる。
旧漢字(正字体)については、
ここ。根性が入っている。個人としてどういう立場に立つかは別にして、こういうふうに腰の入った人、私は大好き。
なお、たとえば句誌や(私家版以外の)句集は、成果と責任が複数に帰属する。著者以外の人間がさまざまな噛み方をしてくるわけである。そうなると、漢字をどう使うかということが現実的な問題となってくる。
雄鬼さんのように句誌の校正に携わる場合など、現実に「どうすんべえ?」という問題が出てくる。そのことについては別の機会にするか、忘れてしまうかにしようと思う。

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