『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記

・友北(こと弁護士滝本太郎)です。まあボチボチ。
・コメント欄は掲示板ではないから、1人1項目1回にてお願いします。

 

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あや?なんでハンドルが化けるんだろ。鰤といれたはずだったのですが。

http://d.hatena.ne.jp/Britty
投稿者:
はじめまして。お忙しいなかブログの更新お疲れ様です。
魂と身体、精神と物質を対立させるところに、物質的なものを過度に否定する思想が出るように思います。
キリスト教では東西ともに「キリストは受肉によって、自ら身体ある存在になることによって、物質という存在のあり方を聖化した」というようなことを考えます。肉体を、可視的なものを離れたところに、精神もまたないというのが有限な人間にとっての世界のあり方で、なので物質的なもののありかたが唯一絶対だとも思っておりませんが、非本来的なものだとも思ってはおりません。それもまた神がかくあらしめた「よい」といわれたものだからです。
とキリストを信じるわたくしは考えるのですが、主要宗教は多かれ少なかれそのことを認めているように思います。万象は幻影だという仏教でさえ物質に依拠するあり方をしている生命を毀損することを戒めている、と私は理解しています。世界や存在の本性――先生が自然とおっしゃられたもの――への理解と探求をうちにもたない信仰は、たとえそれ自体は誠実なまじめなものであろうとしても、やはり自らが背を向けたもの、存在の摂理から裏切られ自壊するほかないのかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/Britty
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