『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記

・友北(こと弁護士滝本太郎)です。まあボチボチ。
・コメント欄は掲示板ではないから、1人1項目1回にてお願いします。

 

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投稿者:沈思黙考
私は「人を殺したら死刑」というカントの論理が絶対的に適用されるならば死刑制度に賛成しますが、現実には社会において全くそんな論理は共有されえないものだと思っています「例1・障害をもった息子を殺した親には数万人の減刑嘆願が集まる。例2・教師が生徒を殺したときも同様(近畿大附属女子高校殺人事件)」
滝本先生も例1には同情を示すかもしれません。アメリカでは出生前診断によって軽度の障害でさえも中絶されるようになってきているそうです。日本でも、重度の障害をもった男性が交通事故で死亡した際、保険会社は賠償額の算定でこの男性が将来得られるはずだった収入をゼロとし、裁判所も追認しました。赤ちゃんポストの件もあります。本質的にみて社会は、ゆっくりとしかし確実に、「優秀な頭脳と健康で美しい肉体をもった人間」を創り出そうとしたナチスの社会に近づいていると思います。親の素朴な願い「健康に育ってくれさえすればいい」をふまえても。藤井輝明著「運命の顔」に出てくる大変心優しい女性でさえ藤井さんを拒絶する場面をふまえても。「命は最も大切なもの」という理念を人間は高らかに謳いあげることができるのでしょうか?滝本先生は存置論者でいらっしゃいますが、コメント欄を読みますと、「良かった」という感覚を持った大多数の国民よりも私の感覚に近い気がします。
投稿者:KT
はじめまして。私は死刑制度の存廃についてはまだ違憲を決めかねています。
いま考えているのは最近続いて起きている「誰でもいいから人を殺して死刑になりたかった」という事件についてですが、このような犯罪の場合、死刑というのは相応の罰といえるのでしょうか?
池田小事件や荒川沖駅前事件のようなケースで、死刑制度というのは見せしめや犯罪抑止の役割は果たさないのではと思ってしまうのですが。
投稿者:takitaro
yasuさん
どもっ、井上被告は無罪はありえないです。量刑をどうするか、とは余りに違うことかと思います。オウム事件の信者被告については紙一重だったことを現役さんも、脱会者さんももっともっと強調して欲しいように思います。

「真」さん。
うーん、刑罰は国家成立以前からありますし、秩序維持を言うほどもない小規模の、それ限りでの原始共産制みたいな所での刑罰もあったと思われます。だから、私は本質は何かと言われたら、応報だと思うんです。

ほぼ失業者さん。
うーん「良かった」という感覚はないんです。本村さんもそうじゃないのかなぁとも感じます。一昨日夜のインタビューでは、死刑制度があるからこんなに悩んだ、とも言われていました。「良かった」というのではなく、なんかその「一つのケジメになったなぁ」という感覚ではなかろうか、と思うんです。本村さんは無期懲役ならば無期懲役で裁判所の判断として尊重したのではなかろうか、と想像しています。

http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/
投稿者:ほぼ失業者
光市母子殺害事件の差し戻し審(広島高裁)判決がで鬼畜の元少年が死刑となり、本当に良かったと思います。先程職場(といっても短時間勤務)で第一報を知り、2時に帰宅してワイドショーにかじりつきました。仕事上でハイティーンの少年少女と接することが多いのですけど、彼ら彼女らは自分たちが少々ヤバイことをしても大した罪にならないこと、ちゃんと知っています。青少年は純粋、なんて思っている自称人権派の偏差値インテリどもは、奴らの実態を全くわかってないから、呆れかえります。特に、『A日新聞』の社説なんか読んでますと、失笑してしまいますよ。
投稿者:真
>刑罰の本質は応報であって

もちろんそれもあるでしょうけど、制度としての死刑設置の一番の理由は、やはり治安維持上の理由だろうと思いますよ。

統計上の明確な証拠は無いようですが、やはり犯罪の抑止効果はあるだろうと考えられますし、更生の見込みのない者を一生税金で食べさせたり、再び社会に解き放つよりは、死刑で殺したほうが国家運営上、合理的です。

もし応報の面でいえば、教祖以外の12人も死ぬしかないです。
殺された側の身内は、そうしなければ納得しません。
12人の事情など、どうして遺族が考慮してあげなければならないのでしょうか。
個人の刑罰権を国家が奪ってるんですから、代わりに国家がしっかりと12人を殺すべきです。

また、国家運営上の面からも、やはり麻原と12人は全員殺したほうが理にかなってます。

加害者の精神状態がどうであれ、殺人を犯した者はしっかりと死刑にすることで、その他の宗教団体や犯罪予備軍への見せしめとし、犯罪者を養う税金の無駄使いを無くし、精神疾患なら無罪になるという国民の不公平感は解消され、それにより国家にたいする信頼感も生まれるのです。

こうした引き締めが今の日本には必要だと考えます。
投稿者:yasu
もし、井上被告などオウム事件の裁判員に選ばれたらどうしようかと考えますね。
わたしは死刑というよりは無期懲役を主張したいと思います。
ああいう事件だけに無罪はダメでしょうし。
被害者も許さないでしょうな。

アーレフ信者ならどう考えるか訊いてみたいものです。
たぶん、彼らは「無罪」を主張するんじゃないかな?
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