2007/4/6

月刊プレイボーイ−5月号  知識人の責任

「月刊プレイボーイ 5月号」

買って読んだ。島田裕巳氏のインタビューと、
シリーズ、森達也氏の「A3」というところ。

それにしても欧米女性の圧倒感はかなわんな、とチラチラ見た。
日本にきている欧米女性にはかなり小さめの人もいるから、まあ雑誌のは決して平均ではないと思うが。

で、いざ「A3」の記事についてコメントを書くべく、ここで見ようとしたら、食事をしたところに置いてきてしまったみたい。うーんうーん、とても取りにいけない。地元だから分ってしまって、後に届けてくれたりしないよなぁ、心配。

ですので、覚えている範囲で書きます。

今回のは、まあ早川被告、林泰男被告らの手紙と、一橋和哉の「オウム帝国の正体」のコピペの記事です。しかしなぁ、コピペばかりの文章を出して恥ずかしくないのか、不思議。

で、早川被告、林泰男被告の手紙は、麻原彰晃水俣病?説への補強をしたいから、その部分を引用したみたいな感じ。

私がこのブログで批判した藤原新也「黄泉の犬」に絡んでのことだろう。藤原さんと森氏は「プレイボーイ」仲間なのかなあ。

いかんなぁ、森さん、と思う。
それでなくとも、中にいる人は情報に飢えており、オウム事件を起こした人は、なおさらに「麻原彰晃」の背景について考え続け、誰の示唆でも直ちに信じてしまいやすい。

もともと失礼ながら騙されやすい方たちでもあった。一時期は拘置所の中で、オウム関係の被告人の間で、飯田史彦著「生きがいの創造」がやたら流行っていたです。
(まああの本自体に罪はないが、あの船井ワールドの入り口です。本の内容は一見良いけれど、まあニューアカデミズムとか新新宗教の弊害と同様、すべて自己の内面を原因とさせてしまうものであり、社会問題や政治問題といった現実を動かしているものへの関心をはずさせてしまう効果を持つものです)。

だから、可能性で書いている本であっても、弟子だった被告人らとして、
「そうなんだあ、きっとそうなんだ、だから事件を起こしたのかも」
と信頼してしまいやすい。
本を送るならば、
・水俣病の症状と矛盾するところが多すぎるということと、
・藤原氏は先に書いた、早川被告について手紙返答にあるように、しょもないことを多く言っているんだということも
伝えなきゃならんですよ。

それにしても、
1−早川被告としても、水俣病云々などまったく聞いていないことが判明した。誰も聞いてないですもん。

2−早川被告は、松本死刑囚の父母は富士山総本部に来たことがあるが、お兄さんは来ていないと言っているのであり、藤原氏が書いたお兄さんの「証言」は、まずこの点が偽りの可能性が出てきた。
(2007.4.9追加−「お兄さんを教祖とすることを考えていた時期もあったと知って、これも驚きでした」と早川被告は言っていて、これまたお兄さんの話自体の信頼性が薄くなってきた。これも誰も聞いていないですもん。
あのー、教祖の交代なんてそう簡単にできるものではないですよ、松本被告が降りるときにその直系に変更だったら分るけれどね)

3−あと、松本家を訪れたとき、あさりを多く出されたが帰り道で松本被告が捨てさせた、というのは興味深いですね。

それから、
>早川被告は、95.11戦争などとある「早川ノート」は、自分ではなく別の幹部K(原文では固有名詞)のものとあっさり述べた
などと書いてあり、森さん驚いたようですが、そんなことは法廷でも何度も述べ、他のメディアで報道されていることです。
森さんは一体オウム事件の何を調べたのかしら。

>早川被告が、裏でロシア政府とつながり、ロボフ云々と
などと書いてありますが、決して「裏」ではないですよ。オウム雑誌でも詳しく経緯が書かれています。ハズブラートフにも会った。エリツィンへは「円」の金額不足だったのかもあえていない。

>一橋和哉の「オウム帝国の正体」を、改めて偽りの多いものと書いてくれた
のはありがたいが、うーん、当たり前すぎてという感覚です。
というか、それらのしょもない情報をそのままに、オウム事件の裏にはなになにがある、と妄想を広げていた一人が森さんでなかったですかしら。
麻原の審理中は勿論、一審判決のときでさえ、麻原の指示ではない可能性が高いなぞと、証拠と矛盾することを述べ続けてきたのはご自分でしょうが、

と思うんですがね。
未だに、文章の最後に思わせぶりに書いてある。弱ったものだ。

もちろん、1995年当時は、私も疑いましたよ。
北朝鮮ではなく、ロシアのことね。
「これは麻原の指示ではあっても、麻原をロシアが実質的に支援したのではないか」
「内乱罪どまりでなく外患誘致罪(外国の日本侵略を助ける罪)の可能性は?」とね。

ですが、メディアには勿論、友人弁護士らにも絶対言わなかった。
裏付けが何らない一方、めったにことで言える内容ではないからね。
無責任な話など、影響力がある立場であるほど、できるものではない。

ああ、スペツナズなぞ、日本の在家信徒らにも有料でツァー募集していたし、そもそもあの頃、オウム真理教以外のツァーもあったです。ともかくロシアの混乱と「円」の力で、なんともできる時代でした。

でもね
1−LSD、サリンは勿論、ソマン、タブン、マスタードガスも、LSD原料を早川が入手した以外は、オウム真理教が、独自に作ったことが判明したこと
2−カラシニコフも、一丁を入手してもってこれただけで、鋳型さえオウム真理教が独自に作るしかなかったことが判明したこと
3−原爆はもちろん、その原料その他もロシアからは入手できず、オーストラリアの牧場購入がウラン採掘の為(つまり自分達でゼロから作る)という実にまったく奇想天外なものであることが分ったこと
4−ヘリコプターもロシア政府直接ではなく、要するに業者に騙され騙されて、届いてみれば、酷くぼろいものだったことが判明したこと
5−ヘリコプター訓練も、容易であるはずのロシアだけでなく、たしかアメリカでも練習したことが判明したこと

から、ロシアからの間接侵略の線はまったく消えたのですよ。

その頃、公安警察や外事警察も、同じようにその可能性を考えでしょうが、後に消えた話です。
それを、まあ森さん改めて言うんですね、謀略史観かな。
もう公安調査庁でさえそんなこと考えていないよ、

なお、公安調査庁は北朝鮮ラインの線も捨てたと思うよ。
末端の思考は知らないが。

以上、「プレイボーイ」5月号が手元にないので、思い出すままに。
0



2007/4/7  22:54

投稿者:上祐氏ミクシィより

2007年04月05日
18:55 上祐 史浩

 皆さんありがとうございます。
 
 5日現在、完全に、復調しました。

 住居近くの公園で、満開のさくらを見つつ、太陽光線を浴びたのがよかったのかもしれません。

 そういえば、ようやく、脱会から、だいたい一ヶ月となろうとしています。

 良い意味で、非常に長い一ヶ月でした。これは、ある意味で充実していたのだ、と思います。

 95年の事件発覚以降は、あっという間に時間が経ったように思います。ということは、脱会までは、ある意味で、なかなか、何も出来なかった時期と言うことかも知れません。

 4月は、総括文書をまとめ上げる、というのが、個人としても、団体としても、一つのテーマです。

 個人的には、95年までの経緯・総括はしましたので、今度は、自分がなぜ脱会に至ったか。つまり、一九九五年から2007年までの長い、ゆっくりとした変化の経緯です。

 でき次第、サイトに掲示しますが、目標は4月中旬くらい。今日からぼちぼち書き始めます

 95年まで、よりも、ある意味では、こちらの方が大変です。松本氏への見方や宗教観が変化していった、という内面の問題であるためです。

 団体としては、オウム時代の総括をする会議を行い、それを文書として発表します。会議は、10日と24日。

 その結果を4月中にサイトに掲示したい、と思います。

 松本氏の総括も含みますので、信者にとっては刺激的な内容です。

 



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ