2006/12/27

「黄泉の犬について−3」  知識人の責任

藤原氏は著名な方なんですね、知らなかった。
「メメント・モリ」とかいう本、素敵みたいです。読んでみようと思う。

その日記をつらつら見てます。
何日のだったか、今の子どものイジメは「子ども集団の自傷行為」という表現など、ううっ、なるほど、と思った。

ですが、私の知るまたオウム関係なのですが、
この人、事実の確認作業において、やはり不十分な方なんだなぁと思った。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061119

11月19日のものです。
これは、読者からのメールに対する氏の返事です。
以下、その抄本にコメントします。

> ○○さんは、この宗教がオウム神泉の会からオウム真理教となり

いや「オウム神仙の会」なんですけれど

>その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、

いや、「オウム真理教」になったのは1987年、早川被告の入信は1986年であり、「その後」ではないのですが。

>この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。

いや、違うんですけれど。早川を含めて北朝鮮との関係はなんら証明されていないんですけれど。
一部の人が、早川が北朝鮮に何回も行ったとか言っているけれど、なんら裏づけがないのです。勿論本人も完全に否定している(その他の女性関係など恥かしいことはすべて認めている。死刑判決となっているものを未だに嘘をついている必要があるのでしょうか。私は、拘置所で直接色々な話とともに聞きましたよ)

>麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、

あのねぇ、同じくプレイボーイに書いていた他の人あたりか誰に聞いたか知らないが、早川も麻原に十分支配されていました。

早川被告も、自宅を売って、2000万円ぐらいかな布施していた。麻原の本性をみた彼が、法廷で号泣したことも知らないのかな。

>初期のオウム真理教が叩かれるきっかけは入信者の中に多数、崩壊家庭の家族から逃げ出した者がおり、

それぞれの家庭を見てないのによくいうわっ。崩壊家庭なぞまずないですね。
傾向としていえるのは、信者さんになった人は反抗期がなかったり弱かった程度のこと。

>除々にオウム真理教と麻原を追いつめて行きます。--最後に麻原の故郷である熊本に居を構えるのですが、そこでも迫害に会い世間を完全に遮断し、敵にまわす

あの、波野村に進出したのは1990年、一方内部での死体遺棄事件は1988年、殺人事件は1989年2月、外部には1989年11月の坂本一家3人殺人事件でしてね。
自らが、まず社会の敵になったのです。

>必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。

あのね、
・未成年の18歳程度の子どもを入れて所在不明にさせたり、
・赤ん坊や小学生まで片親と出家させて所在不明、小学校にさえ通わせなくしていたのがオウムですよ。
・全財産の布施、
・時には親の金を何千万も勝手に持って出させてね。
そして、
・周辺住民には、大音響、工事騒音、
・狭い道に大型トラックを高速で通すなど、
酷い迷惑をかけていたのです。(追加−1990年以前からね)

なにが「根拠のない迫害」ですか。

>-----
>信教の自由を私たちの手によって迫害するのではなく、
>守ることが敷衍して人々の命を救い、民主主義を守ること
>だと思っております。      藤原新也

あのーー
「信教の自由はあっても人を不幸にする自由」は、オウムにもないですね。

オウム教団は、教団の「信教の自由」を主張して、
・さまざまなマインド・コントロールの手法、
・監禁洗脳、
・1994年6月からは薬物まで使い、
人々の信じるかどうかを考える自由、脱会する自由、
つまり個人の「信教の自由」を奪ってきたのです。

朝日文庫にある降幡さんの連続本程度は、しっかり記録を読んでから発言して欲しいように思います。本を出したり、そのうえでブログに書く以上は尚更に。

事実関係についての思い込みは困るのです。
せっかく素敵な感覚をされていると思うのに、残念です。
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