『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記

@一般事件もしっかりとやってます。誤解あるのかもと思い書きました。
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投稿者:友北
おおっ素晴らしい、ありがとうございます。
どこかに保管しておきたいものですね。
投稿者:カボス(*´∀`*)
横から失礼します。
その時の状況について広瀬本人の手記にありますので、よかったらご参考にどうぞ。

9* 麻原において、それほどまでに予言に現実感を抱いた原因は不明だが、自身も予知の経験≠したため、予知という現象を信じたのかもしれない(麻原は自身を予言者とも称していた)。その経験は、ヨガの行法によって脳内神経伝達物質のバランスが崩れ、予知したと感じるような錯覚が起きたものかもしれない。ヨガの行法をしていた私を含む信徒も、類似の感覚を経験することがあった。その種の経験と脳内神経伝達系の変調との関連を私が考える根拠は、自身が妄想・幻覚状態になったときの経験による。その状態に私がなったのは、第一審中の一九九九年三月から同年一一月(軽度の症状を含めると翌年三月)にかけてだった。その期間中、予知と感じられる出来事が私には頻発した。たとえば、幻覚によって感知したことが翌日の新聞に載るのだ。これは、妄想・幻覚状態における経験だから、脳内神経伝達系の変調に起因するだろう。当時、私の思考は支離滅裂だった。新聞に掲載された出来事が、自身の思
念によって起きたと感じたのだ。また公判において、「心を動かして傍聴人を退廷させてはならない」との声が聞こえた。そして私が心を動かすと、傍聴席から爆発音が聞こえて傍聴人が退廷し、「一人退廷」との声が法廷に轟くのだ。覚醒時、幻聴は休みなく聞こえ、私はその声に従って行動していた。たとえば飲食を制限する声に従って脱水状態になり、病舎に移されて三日間点滴を受けた。このような状況のため、裁判長は私に「裁判を続けますか」と確認した。私は「はい」と答えたが、私が幻聴の
指示に従って答えたことは、裁判長も気づかなかっただろう。なお、私が妄想・幻覚状態になった契機は、公判の証人尋問の準備のために、弁護側証人の精神科医と面接したことだった。その精神科医と、後に私と面接した社会心理学者によると、私のその状態は、信徒の頃に経験した変成意識状態に起因するフラッシュ・バックとのことだ。突然の宗教的回心以来経験するようになった変成意識状態と、教団によるLSD等の薬物のイニシエーションによる変成意識状態の影響である。

(オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記
第3章第2節  事件の動機に関する元信徒の供述の差異 P3 9*より)

http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html
投稿者:のっち
詳しくありがとうございます。分かりやすかったです。
投稿者:友北
広瀬被告については、降幡さんのオウム法廷に比較的詳細に出ているかと。1999年6月頃「広瀬被告には、この少し前から、やや心配な事態が進行し始めていた。弁護団が後に、最終弁論で明らかにしたところでは、4月中旬ころから時折、まったく意味不明のことを言うようになった被告は、5月下旬、逮捕後初めて弁護人に接見を依頼する電報を打ち、『やっていることがまとまらなくなった。常に連想ゲームを無理やりやらされているようで苦しい』と訴えたのだ。『新聞の記事や社会の事象がことごとく自分へのメッセージ、暗示と思える』と、そのことで葛藤し、苦悩している様子に見えた被告は、その後一時、拘置所内の自殺防止用房に転房までさせられ、さらにはまったく声を発することさえ出来ない状態になってしまった」
「精神的な安定を欠いて体調の不調を訴えていた被告は、7月ごろからは思い詰めた様子でまったく言葉を発しない状態に陥っていた。無精ひげを生やし、やせてその風貌は変化し、8月には、点滴療法のために、拘置所の病舎に移されたりした。そして、このころには、とうとう房から出ることも出来なくなって、接見で弁護人がどんなに話しかけようとしても、ほとんど反応することもなくなってしまった。そのため、広瀬被告は、この日(99年9月22日の公判)から3被告への論告求刑がおこなわれる寸前まで法廷を休むことになった」(降幡賢一著『オウム法廷・10』朝日文庫)
「広瀬健一の弁護団は、裁判所にたいして、精神鑑定を請求した。『被告人は、自動小銃密造や、地下鉄サリン事件の犯行当時に、麻原彰晃によるマインドコントロール(心理操作)を受け、解離性障害および感応性精神病に似た症状が生じており、修行にともなう脳生理学的な身体への影響で、自我意識がいちじるしく減退しており、心神耗弱の状態にあった』」「しかし、東京地裁刑事6部は、精神鑑定を採用しなかった。
投稿者:友北
廣瀬被告の法廷は直接見たのは私1回で、いくつもの書籍や人から聞いた話ですいません。精神鑑定まではしないままに、顔面蒼白、それまで熱心に答えていられたのに話せなくなってしまった、という経緯から中断したのだったなあ、と記憶します。被害者の言葉を聞いた後だったか。うーん、今度どこかで探します。
投稿者:のっち
広瀬健一死刑囚の場合はどのような理由で裁判を一時中止されたのでしょうか?
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